小野ヶ滝定右エ門
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小野ヶ滝 定右エ門(おのがたき さだえもん)は、下野国都賀郡(現在の栃木県日光市)出身で錣山部屋に所属した江戸時代の大相撲の第92代大関。
1812年(文化9年)冬場所(11月)、西看板大関としてデビュー。その場所は2勝1敗7休で、次場所から平幕に下がり、1815年(文化12年)冬場所(11月)後に一旦番付から消滅。1822年(文政5年)冬場所(10月)に砥並山 岩之助(となみやま いわのすけ)の名で再度西前頭2枚目で復帰したが、2勝4敗4休の成績で即引退した〔1823年(文政6年)春場所(2月)は番付に名前が載ったのみ〕。
通算9場所現役だったが、成績は振るわなかった。
主な成績
[編集]- 通算成績:7勝14敗65休1無勝負
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 相撲人名鑑(小野ヶ滝 定右エ門(おのがたき さだえもん)) - ウェイバックマシン(2002年3月5日アーカイブ分) - 大相撲記録の玉手箱のHP