小谷野伝蔵
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小谷野伝蔵 こやの でんぞう | |
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生年月日 | 1883年11月1日 |
出生地 | 日本 栃木県下都賀郡栃木町 |
没年月日 | 1963年12月 |
出身校 | 栃木中学校卒業 |
前職 | 浦和商業銀行員 |
宗教 | 浄土真宗 |
在任期間 | 1936年3月27日 - 1938年8月1日 |
在任期間 | 1922年2月6日 - 1923年8月20日 |
北足立郡会議員 | |
在任期間 | 1919年 - ? |
在任期間 | 1915年 - ? |
小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年(明治16年)1月1日[1][2][3][4][注釈 1] - 1963年(昭和38年)12月[5])は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。埼玉県浦和市長。埼玉県多額納税者[6]。
経歴・人物
[編集]栃木県栃木町生まれ[2]。栃木中学校卒業[7]。坂倉重平の三男として生まれ、小谷野やさの養子となり、1912年(大正元年)家督を相続する[8][注釈 2][注釈 3]。1915年(大正4年)、浦和商業銀行に入行した[3]。同年、浦和町会議員となる[9][10]。1919年(大正8年)、北足立郡会議員となる[9][10]。1921年(大正10年)、浦和商業銀行頭取となった[3]。1922年(大正11年)2月6日、浦和町長兼浦和町会議長となった[4][11]。1923年(大正12年)8月20日に退任した[4]。1936年(昭和11年)3月27日、埼玉県浦和市長に就任する[6]。1938年(昭和13年)8月1日、浦和市長を辞任した[12]。1963年(昭和38年)に浦和市名誉市民となった[13]。
ほか、相川精麥代表取締役社長、埼玉県農工銀行・武神製衡所各取締役、第八十五銀行取締役、浦和・大谷場各耕地整理組合長などを歴任した[6][14]。
出典
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『大衆人事録 昭和3年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『御大典栄誉記念写真帖 : 昭和三年十一月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『浦和市議会史 上巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『日本の歴代市長』第1巻、707頁。
- ^ a b c 帝国自治協会 1938, 20頁.
- ^ 『埼玉県名士鑑』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『人事興信録 第8版(昭和3年)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『浦和市史 第5巻 (現代史料編 1)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『浦和市史 第5巻 (現代史料編 1)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『現代人事調査録』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『都市公論 21(8)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『浦和市史 通史編 4』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 人事興信所 1928, コ66頁.
参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。