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小西伯熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小西 伯熙
ペンネーム 下屋(屋号)、与右衛門(通称)、績(名)、松江・聚景楼・観水館・琴詩酒書画禅道人(号)
誕生 寛延元年(1748年
丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町湊宮)
死没 文政2年11月16日1820年1月1日
同上
墓地 宝泉寺
職業 廻船問屋
言語 漢文
教育 江村北海
ジャンル 漢詩
文学活動 混沌詩社
代表作 『松江近体詩』
配偶者 木下氏
子供 小西君温
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小西 伯熙(こにし はっき、 寛延元年(1748年) - 文政2年11月16日1820年1月1日))は江戸時代文人丹後国京都府久美浜町五軒家下屋家2代目。本業は廻船問屋。日間浦(久美浜湾)に聚景楼を建てて十二景を定め、大坂混沌詩社中等と交流した。

概要

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寛延元年(1748年)丹後国熊野郡京都府熊野郡久美浜町湊宮)の廻船問屋下屋与右衛門家に生まれた[1]京都江村北海経学・詩文、鉅鹿某に明楽を学んだほか、棋を除く琴棋書画等を嗜み、琴詩酒書画禅道人と号した[2]

20歳頃日間浦(久美浜湾)に貫月楼を建て、後に聚景楼と改称した[2]大坂では主に混沌詩社中と交流し、玉江橋北にある葛子琴の御風楼西隣に観水館を建てた[3]寛政7年(1795年)帰郷し[4]、葛子琴の勧めで『松江近体詩』を刊行した[3]

文政2年(1819年)11月16日死去し、宝泉寺裏山墓地に葬られた[4]。法名は天真伯熙居士[4]。辞世は「沢庵の辞世は夢のたゝ一字我も辞世は無の一字なり」[5]

日間浦十二景

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『松江近体詩』附録「聚景楼十二奇絶山水真図」
現代の久美浜湾

安永頃制定し、当時の名家に題詠を依頼した[6]

  1. 珠山涼翠
  2. 双峰余雪
  3. 靉靆朝暉
  4. 三島春烟
  5. 西寺鐘声
  6. 曲湾浴鳧
  7. 甲嶺曳雲
  8. 泗渡棲鷺
  9. 鹿野繁霜
  10. 松江印月
  11. 長沙暮景
  12. 北溟帆影

交流

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建碑

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  • 三界万霊等(大石塔) - 寛政3年(1791年)7月7日宝泉寺境内に建立[2]
  • 大乗妙典碑 - 享和元年(1801年)5月小天橋松原内に父を願主として建立[2]
  • 群霊曝骨墓(飢餓塚) - 文化6年(1809年)村内に天明の大飢饉犠牲者のため建立[3]

下屋小西家

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下屋(しもや)家は丹後国熊野郡京都府熊野郡久美浜町)の名家五軒家の一つで、小西隠岐守盛信を祖とする小西本家の分家新シ家の分家[11]

家族

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  • 父:小西与右衛門生幸[1] - 小西本家4代与市右衛門弟。下屋家初代。文化2年(1805年)没[11]
  • 妻:木下氏 - 寛政4年(1792年)7月20日31歳で没[4]
  • 弟:小西君庶康哉[12](恒五郎) - 久美浜鮋家[11]
  • 弟:木下紹宗緒[12](小左衛門) - 宮津湊屋[11]
  • 長男:小西直君温[12](与右衛門善基) - 安政6年(1859年)没[11]
  • 娘:イツ - 峰山忍縄屋に嫁ぐも離縁した。文化13年(1816年)1月4日没[4]

子孫

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  1. 小西与右衛門善基
  2. 小西与右衛門次郎助 - 嘉永2年(1849年)没[11]
  3. 小西与右衛門 - 長沢太左衛門三男。明治15年(1882年)没[11]
  4. 小西武 - 明治34年(1901年)・大正2年(1913年)湊宮村長[13]。大正8年(1919年)没[11]
  5. 小西勉爾[11]
  6. 小西熙(ひろし) - 京都市北区小山下総町在住[8]

脚注

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  1. ^ a b 水田 1991, p. 24.
  2. ^ a b c d e f g 水田 1991, p. 26.
  3. ^ a b c d 水田 1991, p. 27.
  4. ^ a b c d e 水田 1991, p. 29.
  5. ^ 水田 1991, p. 30.
  6. ^ 熊野郡 1923, p. 237.
  7. ^ 水田 1991, pp. 27–29.
  8. ^ a b 水田 1991, p. 23.
  9. ^ 松田昭二「久美浜に於ける伊能測量(一)」『伊能忠敬研究』第47号、伊能忠敬研究会、2007年2月。 
  10. ^ 松田昭二「「久美浜湾絵図」写本が記念館に!」『伊能忠敬研究』第49号、伊能忠敬研究会、2007年8月。 
  11. ^ a b c d e f g h i 寺村 1933.
  12. ^ a b c 『松江近体詩』
  13. ^ 熊野郡 1923, p. 673.

参考文献

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  • 寺村龍太郎『丹後久美浜湊五軒家』宮園昌之、1933年。 
  • 水田紀久小西伯煕」『近世文藝』第54巻、日本近世文学会、1991年、23-30頁。 
  • 『京都府熊野郡誌』京都府熊野郡役所、1923年12月。 NDLJP:925932

外部リンク

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