コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小網神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小網神社

鳥居と本殿
地図
所在地 東京都中央区日本橋小網町16-23
位置 北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度 / 35.684167; 139.780472 (小網神社)座標: 北緯35度41分03.0秒 東経139度46分49.7秒 / 北緯35.684167度 東経139.780472度 / 35.684167; 139.780472 (小網神社)
主祭神 倉稲魂命市杵島姫命
社格 村社
創建 文正元年(1466年
札所等 日本橋七福神下町八福神
例祭 5月18日
地図
小網神社の位置(東京都区部内)
小網神社
小網神社
テンプレートを表示

小網神社(こあみじんじゃ)は、東京都中央区日本橋小網町にある神社

歴史

[編集]

当地には元々恵心僧都源信が編んだ草庵があった。1466年文正元年)、疫病が流行った折、この草庵に稲穂を持った老人が訪れ、数日間泊まった。その夜、庵主は恵心僧都のを見、「この老人を稲荷神として崇めれば、疫病は退散する。」というお告げを聞いた。翌朝、この老人の姿は消えていた。さっそく稲荷神を祀る神社を建てたところ、疫病も収まったという。領主の太田道灌もこの話を聞き、土地を寄進し、折に触れて参詣した[1]

明治期神仏分離により、別当寺「萬福寿寺」(その後廃寺)から分離し、1873年(明治6年)には近代社格制度における「村社」となった[1]

1923年大正12年)の関東大震災で社殿を焼失し、現社殿・神楽殿は、1929年昭和4年)、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門によって再建した。「昇り龍」「降り龍」などの彫刻が施されており、貴重な建築となっている[2]

祭神

[編集]

強運厄除

[編集]

当社は「強運厄除の神さま」といわれている。関東大震災の時は、社殿そのものは罹災したが、当社神職神体を携え、新大橋に避難し難を逃れた。また第二次世界大戦においては、都心にありながら奇跡的に空襲の被害に遭わずに済んでいる。また、当社氏子の出征兵士は全員生還し復員を果たしたという[1]

どぶろく祭

[編集]

毎年11月28日に、神前に供えたどぶろくが参拝者にふるまわれる「どぶろく祭」が開かれている[3]

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 御由緒小網神社
  2. ^ 『江戸・東京歴史散歩1(中央区・台東区・墨田区・江東区)』トゥーヴァージンズ、2019年、39p
  3. ^ 年間行事・神事小網神社

参考文献

[編集]
  • 『江戸・東京歴史散歩1(中央区・台東区・墨田区・江東区)』トゥーヴァージンズ、2019年

外部リンク

[編集]