小笠原由祠
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おがさわら ただし 小笠原 由祠 | |
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本名 | 小笠原 匡(おがさわら ただし) |
別名義 | 小笠原 匡(旧芸名) |
生年月日 | 1965年8月27日(59歳) |
出生地 | 日本・東京都 |
民族 | 日本人 |
職業 | 狂言方能楽師 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1983年 - 現在 |
活動内容 | 狂言、狂言他舞台 |
配偶者 | 小笠原尚子 |
著名な家族 | 長男:小笠原弘晃 |
事務所 | 萬狂言 |
公式サイト | 萬狂言公式HP[1] |
小笠原 由祠 (おがさわら ただし、1965年8月27日 - )は、狂言方和泉流能楽師、師匠は贈八世野村万蔵(五世野村万之丞)、萬狂言関西支部代表、能楽協会会員、旧芸名及び本名は小笠原 匡(おがさわら ただし)。重要無形文化財保持者(総合認定)。
1983年に野村耕介(のちの五世野村万之丞→贈八世野村万蔵)の一番弟子として入門した。1986年、師匠の書生を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」のシテにて初舞台を踏んだ。
2000年1月に師匠が設立した「萬狂言関西支部」の代表に就任するなど、師匠の信頼も厚かった。
なお、2004年6月に師匠の五世万之丞(贈八世万蔵)が満44歳(享年46)で他界したのちは、支部代表として師匠・八世万蔵の弟の九世野村万蔵を支え、若手の狂言方の育成をするなど「萬狂言」の中核を担う狂言方として活動している。
なお、長男の小笠原弘晃(2001年生まれ)も狂言方の道を歩んでいる。また、弘晃の姉に当たる娘が一人いる。
年譜
[編集]- 1983年、野村耕介(のちの五世野村万之丞→贈八世野村万蔵)に入門。五世万之丞(八世万蔵)の一番弟子となる。なお、後に妻となる尚子は五世万之丞(八世万蔵)が設立した「わざおぎ塾」の生徒であった。
- 1986年、師匠の付き人を2年半務めたのち、狂言・「舟ふな」シテにて初舞台を踏む。
- 1990年1月、「千歳」を披く
- 1993年3月 、「奈須与市語」 を披く。
- 1993年9月 、師匠・五世万之丞(八世万蔵)の学友である皇太子徳仁親王(当時)の「皇太子殿下 雅子妃殿下 御成婚祝賀記念式典(宮中)」において「萩大名」の太郎冠者を演じる。
- 1996年1月、「三番叟」 を披き独立。
- 2003年、狂言方の大習(一人前の狂言方になったしるし)である「釣狐」を披く。
- 2004年6月、師匠・五世万之丞(八世万蔵)が死去する。
- 2008年、「花子」を披く。
外部リンク
[編集]萬狂言公式HP[2]