小畠鼎子
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小畠 鼎子(こばたけ ていこ、1898年(明治31年)2月14日 - 1964年(昭和39年)1月26日)は、大正末期から昭和にかけて活動した日本画家[1]。
師・川端龍子が1929年(昭和4年)に創立した青龍社に当初より参加。65歳で死去するまでの35年間、家事や育児に追われながら一貫して同社で活動した[1][2]。主に花鳥画を手掛けた[1][2]。
年譜
[編集]- 1898年(明治31年)2月、神田美土代町に生まれる。
- 1915年(大正4年)東京府立第一高等女学校卒業。この頃より日本画家・池上秀畝に師事。
- 1920年(大正9年)婦人世界主催第1回女流日本画展覧会入選。
- 1921年(大正10年)婦人世界主催第2回女流日本画展覧会入選。
- 1922年(大正11年)遠藤辰之助と婚姻、吉祥寺に転居。結婚後、川端龍子に入門。
- 1924年(大正13年)第10回日本美術院試作展に《巣籠》入選。
- 1929年(昭和4年)第1回青龍展に《山百合》入選。以後青龍展に35回連続入選。
- 1934年(昭和9年)青龍社社友となる。
- 1948年(昭和23年)青龍社社人となる。
- 1964年(昭和39年)1月、吉祥寺の自宅にて没。享年65歳。
主要展覧会
[編集]- 「小畠鼎子展:青龍社とともに歩んだ女性画家」武蔵野市立吉祥寺美術館、2010年。
- 「青龍社の女性画家 小畠鼎子 ~井の頭恩賜公園100周年記念~」武蔵野市立吉祥寺美術館、2017年。
脚注
[編集]- ^ a b c “青龍社の女性画家 小畠鼎子 ~井の頭恩賜公園100周年記念~ | 武蔵野市立吉祥寺美術館”. www.musashino-culture.or.jp. 2021年8月13日閲覧。
- ^ a b 福住廉. “artscapeレビュー「青龍社の女性画家 小畠鼎子~苦しみながら描くことの楽しみ~」”. artscape. 2021年8月13日閲覧。