小田切直棊
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保6年(1721年) |
死没 | 宝暦9年3月7日(1759年4月4日) |
別名 | 亀之助、喜兵衛 |
戒名 | 義哲 |
墓所 | 赤坂松泉寺 |
主君 | 徳川将軍家 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 |
父:小田切直広、母:某氏 養父:小田切直刻 |
兄弟 |
直刻、某(萬五郎)、某(豊次郎)、女子(遠藤常之妻)、某(八十郎)、女子(小濱降恭妻)、女子(多賀常房妻)、直棊 直棊、女子(鳥居忠雄妻)、女子 |
妻 | 永井尚方娘 |
子 | 女子(齋藤利兼妻)、女子、直年、平岡良休 |
小田切 直棊(おだぎり なおもと)は、江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本。
経歴
[編集]小田切直広の五男として生まれ、のち直広の長男小田切直刻の養子となり、元文3年12月4日(1739年1月13日)家督を継ぐ[1]。同月7日、徳川吉宗に拝謁し、元文5年11月22日(1741年1月9日)、小姓組番士となる[1]。寛延元年(1748年)青山忠朝より丹波国笹山城を賜い、同年12月28日同地に赴いた[1]。宝暦9年3月7日(1759年4月4日)死去した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 堀田正敦『寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年 。