小田切光猶
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時代 | 戦国時代-江戸時代初期 |
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生誕 | 元亀2年(1571年) |
死没 | 慶長19年8月26日(1614年9月29日)[1][2] |
別名 | 喜兵衛[1] |
戒名 | 宗春[1] |
墓所 | 駿府龍泉寺[1] |
主君 | 甲斐武田氏→徳川家康 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切光季[1] |
妻 | 宇野氏娘[1] |
子 | 須猶[1] |
小田切 光猶(おだぎり みつなお)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。甲斐武田氏、徳川氏家臣。
経歴
[編集]武田家没落後、天正14年(1586年)16歳の時、徳川家康に拝謁し、御傍に近侍する[1]。慶長2年(1597年)9月、武蔵国橘樹郡獅子谷村[2]にて采地150石余りを知行[1]。のち家康が大御所となり駿府に隠居した際、従った[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。