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小桧山哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年大正11年)5月10日[1][2][注 1] - 1997年平成9年)10月23日[1][2])は、日本政治家青森県三沢市(3期)[2]

経歴

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青森県上北郡三沢村(のち大三沢町、現在の三沢市)出身[1]1940年(昭和15年)旧制青森県立野辺地中学校(現在の青森県立野辺地高等学校)卒[3]。卒業後は大湊要港部建築部に就職[3]太平洋戦争の悪化により、陸軍に召集され、旧満州に派遣される[3]。現地で終戦を迎え、ソ連軍によりシベリアに抑留される[3]1948年(昭和23年)に帰国し、大三沢町役場に就職する[1][3]

大三沢町役場は市制施行により、三沢市役所となる。小桧山は市総務課長、収入役を経て[1]1970年(昭和45年)青森県議会議員選挙に出馬するため三沢市役所を退職した[1][3]1971年(昭和46年)青森県議会議員に当選。2期務める[1]

2期目途中の1978年(昭和53年)三沢市長の小比類巻富雄が急死、これに伴う三沢市長選挙に立候補し、当選した[1]。市長就任後に総合開発基本構想を策定[3]、漁民研修センターを整備し、漁業振興に力を入れた[3]。生活環境の面ではゴミ処理場を整備、拡充し、福祉、厚生面では私立病院の増設など医療行政の拡充、強化を図った[3]

1986年(昭和61年)3回目の当選を果たした後の12月に公共工事に関する汚職事件で逮捕され、市長を辞職[4]1995年仙台高裁で懲役3年の実刑判決が下された[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、206頁では「大正5年5月生まれ」。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『青森県人物・人材情報リスト 2021』51頁。
  2. ^ a b c 『全国歴代知事・市長総覧』24頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長』第1巻、206頁。
  4. ^ a b 『青森県人物・人材情報リスト 2021』52頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人物・人材情報リスト 2021』日外アソシエーツ、2020年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。