小栗孝則
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小栗 孝則(おぐり たかのり、1902年3月22日 - 1976年[1])は、日本のドイツ文学者、詩人、翻訳家。
略歴
[編集]東京生まれ。海軍大将の小栗孝三郎の長男[2]。父親の母方の親戚に戸田城聖がいる。
東京府立第一中学校を経て東京外国語学校ドイツ語科中退[3]。1937年の『新編シラー詩抄』のうちの「人質」をネタとして太宰治が「走れメロス」を書いた[4]。
翻訳
[編集]- 『ゲーテ以後 訳詩集 第1輯』(河発行所) 1929年
- 『シラー詩集』(改造文庫) 1930年
- 『この人を見よ』(フリードリヒ・ニイチェ、改造文庫) 1936年
- 『新編 シラー詩抄』(改造文庫) 1937年
- 『ハイネ選集 第1 抒情詩集』解放社 1947年
- 『瞑想詩集』(シラー、小石川書房) 1948年
- 『人間の美的教育について』(シラー、小石川書房) 1948年
- 『人間の美的教育について』(法政大学出版局、叢書・ウニベルシタス) 2003年、新版 2011年、改版 2017年
- 『ゲーテ』(シュワイツェル、新教出版社) 1949年
- 『永遠のゲーテ』(みすず書房) 1953年
- 『死せるマリア』(ハイネ、創元文庫) 1952年
- 『シニョーラ・フランチェスカ 続死せるマリア』(ハイネ、創元文庫) 1952年
参考
[編集]- 文藝年鑑
脚注
[編集]- ^ 国会図書館の記載
- ^ 「読売新聞」1925年7月21日「不景気風は武勲の家にも 三浦のかた田舎に引つこむ小栗海軍大将の一家」
- ^ 『文藝年鑑』1981年版37ページ。
- ^ 高山裕行, 「「走れメロス」素材考」『日本文学』 34巻 12号 1985年 p.70-75, 日本文学協会, doi:10.20620/nihonbungaku.34.12_70, NAID 110009958018。