小林智
小林 智 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1974年7月20日(50歳) |
所属団体 | フランスギャロ |
初免許年 | 2009年 |
経歴 | |
所属 | シャンティイ調教場 |
小林 智(こばやし さとし、1974年7月20日 - )はフランスギャロ・シャンティイ調教場の調教師。千葉県船橋市出身[1][2]。既婚者で妻はフランス語教室が縁で、現地で日本語を教わっていたフランス人で、2007年入籍[2]。
来歴
[編集]父・菊男、母・凉子の下、2つ上の兄と共に育てられた。新聞社勤務だった父が競馬ファンであり、シャコーグレイドが2着になった皐月賞が競馬へのきっかけである[3][2]。日本大学理工学部[1]を卒業後、北海道のコアレススタッド[4]で5年間牧場勤務[1]し、日本中央競馬会の厩務員試験を3回受験するもすべて不合格だった[4]。牧場ではオーストラリアやアイルランド、イギリス、フランスといった競馬の先進国に研修に行かせてもらっていたので、国際的で見識も広がると、試験を受けるのをやめて牧場に骨を埋める気持ちになっていた[5]。その後、育成部門の主任を任されることになるが、1年やってみて、「このままでは自分は伸びない」と思い、退職。牧場勤務時に関係者の方にパトリック・バルブ(フランス競馬界の重鎮で競走馬ブローカーとしても有名)を紹介してもらうが、フランス語をまったく話せず、英語もお金を払ってオーストラリア人に習っていたが、それほどしゃべれるわけではなかったが、勇気をもって国際電話をかけて、なんとか英語で話したら「ジャパンカップのときに日本に行くから、そのときに会いましょう」と言ってもらい、ジャパンカップ当日、北海道から日帰りで、バルブに会い行き「12月にまたフランスに行くのでよろしくお願いします」と伝えていた[6]。
2002年にバルブを頼ってフランスへ渡り[1][7]、その紹介でジョン・ハモンド厩舎で3年間調教助手を務める[8]。きっかけは2001年・2002年と、武豊がフランスに長期滞在して、ジョン・ハモンド厩舎の主戦騎手だったが、武をサポートできる日本人スタッフがほしい、ということでビザを出してくれることになるが、武の世話はほとんど必要なく、厩務員の仕事をやることになったが[9]、最終的には厩舎長を務めた。次いでイギリスの『レーシングポスト』紙にアシスタントトレーナーを募集しているという広告が出ていて、バルブの妻ヘレンが「これやってみたら?」と、親日家としても知られるリチャード・ギブソン厩舎所属で2年間アシスタントトレーナーを務め調教師の仕事を教えてもらう[1][7][8]。その傍ら一旦帰国した日本で、凱旋門賞を目指すというメイショウサムソンの陣営を紹介してもらい、何か手伝える事があればとフランスへ戻ったが、馬インフルエンザで遠征は中止となってしまう。しかし、再びフランスに渡った小林に帰国する意思はなく、フランスで調教師を目指した[2]。2006年9月よりミケル・デルザングル厩舎所属の調教助手を務めた。フランス語は現地でフランス語学校に通うなどして習得した。
2008年7月に日本人として初めてフランスギャロの調教師試験に一発合格[1][8]し、調教師免許を取得した。通訳をつけての受験も認められていたが「将来、ここで開業するのであればフランス語が出来ないようでは話にならない」とこの権利を放棄し、現地の言葉で受験していた[2]。厩舎の開業までは引き続きデルザングル厩舎で調教助手を務め[8]、同年凱旋門賞に出走するためにデルザングル厩舎に滞在したメイショウサムソン陣営をアシストした[1][4]。
2009年、調教師免許を交付され厩舎を開業した。初出走は6月28日、吉田照哉所有のSoyokazeが[4]クリストフ・ルメールを背に[4]Prix de Labouretに出走、結果は最下位[4](11着)。
2010年7月24日、The DIVINEで初勝利[10](ヴィシー競馬場、フランク・ブロンデル騎手、2400メートル[4]のハンデ戦)。
2011年にJRAの角居勝彦厩舎に研修のため来日し、ヴィクトワールピサの遠征時も尽力。この頃から、角居も年に数度、日本を離れてフランスに渡り、小林厩舎の調教助手として研修した[11]。その縁で2014年、角居調教師らと連携して「ワールドチャレンジ」と題し、日本の厩舎や牧場で働くホースマンが最大3か月間フランス研修として小林の厩舎で受け入れる制度の海外研修プログラムを立ち上げた[12]。
2021年5月23日、イタリア・カパネッレ競馬場で行われたデルビーイタリアーノ(G2)をTokyo Goldで勝利して重賞初勝利を挙げた[13]。Tokyo Goldは吉田照哉の所有馬[13]。
主な管理馬
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
重賞勝利馬
[編集]- Tokyo Gold - 2021年デルビーイタリアーノ
JRA管理馬遠征受け入れ
[編集]- ヴィクトワールピサ(2011年凱旋門賞出走)[4][14]
- ヒルノダムール(2011年凱旋門賞出走)[4][14]
- オルフェーヴル(2012年凱旋門賞出走)[15]
- アヴェンティーノ(2012年オルフェーヴルの帯同馬)
- ゴールドシップ(2014年凱旋門賞出走)
- サトノダイヤモンド(2017年凱旋門賞出走)
- ジェニアル(2018年メシドール賞優勝)遠征中帰国せず移籍[16]
- ラルク(2018年オペラ賞出走)
JRA騎手研修受け入れ
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 有吉正徳 (2009年2月16日). “競馬かわらVAN(リレーコラム)第39回 世界に羽ばたく日本人調教師”. JRA-VAN. 2011年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e “日本人で初めてフランスで調教師となった男にとって、7月が特別な月と思える理由とは……”. Yahoo!. 2023年8月19日閲覧。
- ^ 『優駿』2009年10月号、68頁。
- ^ a b c d e f g h i “オリジナルインタビュー 小林智調教師”. 競馬ラボ (2011年). 2012年2月1日閲覧。
- ^ “フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (2ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2017年10月17日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ “フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (4ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2017年10月17日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b “フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (5ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2017年10月17日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b c d 高橋悟史 (2008年8月22日). “サムソンに援軍!日本人初仏調教師合格男”. 日刊スポーツ. 2012年3月7日閲覧。
- ^ “フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (3ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2017年10月17日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ “フランス初の日本人調教師初勝利”. トピックス. 競馬ラボ (2010年7月27日). 2012年2月1日閲覧。
- ^ “角居勝彦元調教師連載【22】世界を目指すために自らフランスに乗り込む”. 東スポ競馬 (2022年9月7日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ “角居調教師が海外研修プログラムを立ち上げ | みんなの投稿競馬ニュース”. netkeiba.com. 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b “【イタリアダービー】トウキョウゴールド快勝!クリスチャン・デムーロは兄ミルコと同日クラシック制覇 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b “ヴィクトなど日本馬4頭仏シャンティ到着”. 日刊スポーツ (2011年8月11日). 2011年10月9日閲覧。
- ^ “オルフェーヴル号がフランスに到着”. 日本中央競馬会 (2012年8月26日). 2012年8月29日閲覧。
- ^ “ジェニアルはフランスに移籍、ラルクは仏で繁殖入り”. サンケイスポーツ. (2018年10月10日) 2018年10月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 欧州競馬情報/Les Aigles(horsejapan.tv) - ウェイバックマシン(2010年3月23日アーカイブ分)
- “小林智のプロフィール|調教師データ”. netkeiba.com