小林昭仁
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基本情報 | |
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出身地 | 長野県 |
生年月日 | 1929年 |
没年月日 | 2015年8月28日(86歳没) |
選手情報 | |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
この表について
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小林 昭仁(こばやし あきひと、1929年 - 2015年8月28日)は、長野県出身の元アマチュア野球選手、指導者である。ポジションは捕手。旧姓は藤澤。
来歴・人物
[編集]松本商業高校と専修大学で捕手としてプレーする[1]。大学卒業後は建設会社で勤務していたが、1956年1月に先輩の中島治康の紹介により、駒澤大学の監督に就任し、1962年春季に東都一部リーグ初優勝を遂げた[1][2]。1963年春季と1964年春季でも優勝し、3年連続春季リーグ優勝を達成。1964年の全日本大学野球選手権では早稲田大学を破り、初の日本一を果たした[1][2]。東京オリンピックの日本学生代表チームの監督を務めた[1]。1970年秋季で一部リーグ最下位の責任を取り、入れ替え戦直前に駒澤大学野球部監督を辞任した[3]。
1974年から母校・専修大学の監督を務め、1978年春季に優勝を果たした[1]。同年の第7回日米大学野球選手権大会で日本代表のコーチも務めた[1][4]。
専修大学監督時代に中尾孝義に捕手守備用ヘルメットを手渡し、以降、中尾はプロ野球に進んだ後も愛用、NPBに普及する端緒となった[5]。