拓殖大学野球部
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拓殖大学のユニフォーム(内田俊雄元監督) | |
加盟団体 | 東都大学野球連盟 |
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本拠地 | 東京都八王子市館町815-1(拓殖大学八王子キャンパス内) |
創部 | 1923年 |
監督 | 馬淵烈 |
公式サイト | 拓殖大学硬式野球部 |
リーグ戦成績 | |
リーグ成績 | 2部優勝3回 |
拓殖大学野球部(たくしょくだいがくやきゅうぶ、Takushoku University Baseball Club)は、東都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。拓殖大学の学生によって構成されている。
歴史
[編集]- 1920年(大正9年)[1] 東洋協会大学野球部として創部。
- 1931年(昭和6年) 拓殖大学、東京文理科大学、東洋大学により三大学野球連盟結成。後に東京工業大学、東京商科大学が加わって東京新大学野球連盟と改称。
- 1933年(昭和8年) 東工大戦にて乱闘騒ぎを起こし、東京新大学野球連盟分裂の原因となる。
- 1940年(昭和15年) 野球部閉鎖。
- 1949年(昭和24年) 紅陵大学野球部として東都大学野球連盟加盟。
- 1967年(昭和42年) 春季、東都大学野球連盟三部で初優勝。
- 1967年(昭和42年) 秋に東都大学野球連盟二部昇格。
- 1984年(昭和59年) 1年間出場を辞退したため、東都大学野球連盟四部まで降格。
- 1985年(昭和60年) 春季、東都大学野球連盟四部優勝し三部昇格。
- 1986年(昭和61年) 春季、東都大学野球連盟三部優勝し二部昇格。
- 1987年(昭和62年) 秋季に二部優勝するが、一部昇格を逃す。
- 1994年(平成 6年) 秋季入替戦に敗れ、東都大学野球連盟三部降格。
- 1995年(平成 7年) 春季入替戦に勝利し、東都大学野球連盟二部昇格。
- 1999年から2001年にかけて東都大学野球連盟の二部と三部を行ったり来たりする。
- 2005年(平成17年) 秋季入替戦に敗れ、三部降格。
- 2006年(平成18年) 2月、内田俊雄監督(前亜細亜大学野球部総監督)が就任。2代続けての拓大OB以外からの監督起用となる。
- 2007年(平成19年) 内田監督になり2度目の三部優勝後、春季入替戦に勝利し東都大学野球連盟二部昇格。
- 2011年(平成23年) 秋季に二部優勝するが、一部昇格を逃す(二度目)。
- 2013年(平成25年) 春季リーグ戦2部優勝、一部昇格。秋季リーグ戦にて最高成績となる3位。
- 2015年(平成27年) 春季リーグ戦で最下位、二部降格。
- 2020年(令和2年) 馬淵烈監督が就任。久しぶりの拓大OBからの監督起用となった。父も拓大OBの馬淵史郎。[2]
本拠地
[編集]記録
[編集]- 二部優勝:3回
主な出身選手
[編集]→「Category:拓殖大学野球部の選手」も参照
- 馬淵史郎(明徳義塾高等学校野球部監督)
- 馬淵烈(拓殖大学野球部監督)
- 中尾明生(元広島東洋カープ、南海ホークス内野手、元四国学院大学硬式野球部監督)
- 米倉忠信(元読売ジャイアンツ捕手)
- 高橋建(元広島東洋カープ、ニューヨーク・メッツ投手)
- 古屋剛(元西武ライオンズ内野手、ジェイファム野球部監督)
- 木村昌広(元オリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズ投手)
- 石橋良太 - プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス投手)
- 木内九二生(プロ野球審判員)
- 山本良材 (元阪急ブレーブス投手)
- 岸潤一郎 - プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)中退 ※現役
- 野村勇 - プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)※現役
脚注
[編集]- ^ 拓大が創部年を1920年に変更 東都大学野球リーグ スポニチアネックス 2013年10月5日閲覧
- ^ “拓大・馬淵烈監督、名将の父史郎氏からシンプル助言 - アマ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年7月21日閲覧。
外部リンク
[編集]- 拓殖大学硬式野球部
- 拓殖大学野球部 (@takushoku_bbc) - X(旧Twitter)
- 拓殖大学野球部ブログ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)