小松清穆
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政5年1月22日(1793年3月4日) |
死没 | 安政3年9月10日(1856年10月8日) |
改名 | 幼名:松之助、諱:清苗→清透→清穆、号:薫山 |
別名 | 帯刀、掃部、式部(通称) |
戒名 | 天桂院殿薫山清穆大居士 |
墓所 | 吉利郷の清浄山園林寺 |
主君 | 島津斉宣、斉興 |
藩 | 薩摩藩士 |
氏族 | 島津氏、小松氏 |
父母 |
父:島津久儔、母:町田久甫長女 養父:小松清宗 |
妻 |
正室:島津久逵長女 側室:丸野仲太三女、他 |
子 |
汲、安袈裟、清猷、富、栄、近、須磨、 壽賀、高 |
小松 清穆(こまつ きよあつ)は、江戸時代後期の薩摩藩士。家格一所持。通称に帯刀。
出自
[編集]出自は島津久明を祖とする一所持格の島津準次男家。寛政11年(1799年)10月に、一所持小松家の当主で親族の小松清宗の養子となる。清宗は、血統上は祖父の従兄弟であるが、実家においては養玄祖父[注釈 1]であり、小松家においては養父という、複雑な関係であった。なお、小松家にはいる前は準次男家島津氏の規定により三崎氏を称する。
略歴
[編集]島津久儔の次男として誕生。母は町田監物久甫の長女。幼名は松之助。
小松清宗の養嗣子となり、文化3年(1806年)に養父の死により、家督を相続。藩では3番目の席次の職である大目付まで昇進し、文政13年(1830年)から天保3年(1832年)まで伊集院郷地頭を兼務。天保11年(1840年)に隠居。薫山と号した。聡明であった次男・清猷が跡を継いだ。しかし清猷は安政2年(1855年)に急死しており、その養嗣子に家老として著名な小松帯刀清廉が出ている。
清廉の家督相続後に死去。
系譜
[編集]登場作品
[編集]- テレビドラマ
脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 村山知一『近世・禰寝文書』文昌堂、2001年5月