小松寺 (小牧市)
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小松寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県小牧市小松寺3丁目15 |
位置 | 北緯35度18分39.94秒 東経136度56分49.91秒 / 北緯35.3110944度 東経136.9471972度 |
山号 | 愛藤山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建年 | 伝・天平勝宝年間(729年~749年頃) |
開基 | 伝・行基 |
別称 | 小松観音 |
札所等 | 小牧十観音1番札所、尾張西国三十三観音7番札所 |
文化財 | 本堂、絹本着色千手観音菩薩像、銅製釣灯籠 |
法人番号 | 7180005008444 |
小松寺(こまつじ)は、愛知県小牧市にある真言宗智山派の寺院。
概要
[編集]山号は愛藤山。小牧十観音第一番札所であり、かつ尾張西国三十三観音第七番札所でもある。八所社・熊野社合殿が隣接する。
歴史
[編集]創建は天平勝宝年間(8世紀中頃)。行基菩薩によってであると伝えられている。承安3年(1173年)に、一帯を荘園として所有していた平重盛が建物を改築。領地を与えたことから、彼の別称である「小松殿」(または「小松内大臣」)から取って、「小松寺」と称するようになった。しかし承久3年(1221年)に起こった承久の乱で寺院は焼失。以後約250年間に渡って廃寺となっていた。
再興されたのは文明年間(15世紀後半)。全慶僧侶によってであると伝えられている。しかし天正12年(1584年)に起こった小牧・長久手の戦いで、小松寺周辺には豊臣方が砦(小松寺砦)が築づかれた。豊臣方は撤退する際寺に火を付け、建物や宝物などが焼失。
その後文禄4年(1595年)に豊臣秀吉から領地を与えられ、再々度再建された。
その後元和7年(1621年)には、徳川義直から領地を与えられている。
年表
[編集]- 天平勝宝年間(8世紀中頃) - 創建。
- 承安3年(1173年) - 「小松寺」と称するようになる。
- 承久3年(1221年) - 承久の乱で焼失。
- 天正12年(1584年) - 小牧・長久手の戦いで焼失。
- 文禄4年(1595年) - 豊臣秀吉から領地を与えられる。
- 元和7年(1621年) - 徳川義直から領地を与えられる。
- 明暦3年(1657年) - 現在の本堂の建設が行なわれる。
- 昭和53年(1978年)3月25日 - 本堂が、小牧市の有形文化財に指定される。
- 平成3年(1991年)3月30日 - 銅製釣灯籠が、小牧市の有形文化財に指定される。
- 平成10年(1998年)3月27日 - 絹本着色千手観音菩薩像が、小牧市の有形文化財に指定される。
所蔵品・文化財
[編集]- 本堂 - 江戸時代初期の1657年(明暦3年)に再建されたとされる本堂。本堂正面にある鈴(すず)には、「1646年(正保3年)建設」と書かれている。小牧市指定有形文化財[1][2]。
- 絹本着色千手観音菩薩像 - 室町時代に製作されたと考えられている、千手観音菩薩を描いた絵画。他に、毘沙門天と不動明王も描かれている。小牧市指定有形文化財[3]。
- 銅製釣灯籠[4] - 青銅製の釣灯籠。小牧市指定有形文化財。
- 朱印状 - 豊臣秀吉から送られた朱印状。