コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小川太郎 (教育学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 太郎おがわ たろう
人物情報
生誕 (1907-11-16) 1907年11月16日
日本の旗 日本台湾
死没 1974年1月31日(1974-01-31)(66歳没)
日本の旗 日本 兵庫県
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 教育学
研究機関 神戸大学日本福祉大学
テンプレートを表示

小川 太郎(おがわ たろう、1907年(明治40年)11月16日 - 1974年(昭和49年)1月31日)は、日本の教育学者

経歴

[編集]

1907年、台湾生まれ。言語学者である父の小川尚義は、台湾総督府に勤務し、台湾語ならびに台湾原住民諸語について研究していた。東京帝国大学を卒業。卒業後は台北第一師範学校愛媛師範学校に勤務した。

戦後、愛媛県教育研究所長。神戸大学教授となった。1971年に定年退官し、その後は日本福祉大学教授として教鞭をとった。大学外では、全国部落問題研究協議会長をつとめ、作文教育、同和教育に尽力した。1974年1月31日、肝臓がんのため神戸大学医学部附属病院で死去。66歳[1]

家族・親族

[編集]

著書

[編集]
  • 『日本の子ども』金子書房、教育文庫、1952、のち新評論
  • 『日本教育の構造』国土社、1955
  • 『立身出世主義の教育』黎明書房、1957
  • 『国民教育と教師』国土社、1959
  • 『発達と教育』明治図書出版、現代教育全書、1960
  • 『教育と陶冶の理論』明治図書出版、1963
  • 『教育科学研究入門』明治図書出版、1965
  • 『生活綴方と教育』明治図書出版、1966
  • 『現代の課題と教師の任務』明治図書出版、1967
  • 『子どもの教育権を守ろう』明治図書出版、1971
  • 小川太郎教育学著作集』全6巻、青木書店、1979-80
    • 第1巻 (教育の原理)
    • 第2巻 (日本教育の思想と構造)
    • 第3巻 (日本の子どもと生活綴方)
    • 第4巻 (集団主義教育論)
    • 第5巻 (同和教育)
    • 第6巻 (学力形成の基礎理論)

共編著

[編集]
  • 『新しい道徳教室』編、新評論社、1954
  • 『子どもの予算生活』山田秋夫共著、中央公論社、1955
  • 『生活綴方的教育法』国分一太郎共編、明治図書出版、1955
  • 『教育と政治 その対決と結びつき』編、新評論・教育新書、1958
  • 『国民のための道徳教育』編著、法律文化社、1958
  • 『集団教育実践論』編、明治図書出版、1958
  • 『災害と教育 伊勢湾台風は何を教えたか』編、新評論、1960
  • 『同和教育の理論と方法』編、部落問題研究所出版部、同和教育シリーズ、1963
  • 『教育の原理』高木太郎共編 六月社、1964
  • 『講座部落解放の教育 第4』中村拡三共編、汐文社、1965
  • 『新中国の生活指導』編 小川さち代訳、明治図書出版、教育問題新書、1966
  • 『講座集団主義教育』 第1-3 編、明治図書出版、1967
  • 『女教師のための人生論』共著、明治図書新書、1967
  • 『小学校の集団主義教育』編著、明治図書出版、1968
  • 『高校の集団主義教育』編著、明治図書出版、1969
  • 『中学校の集団主義教育』編著、明治図書出版、1969
  • 『講座軍国主義教育』第1、3 編、明治図書新書、1970
  • 『生活綴方と生活指導』太田昭臣共編、明治図書出版、1972
  • 『あすをひらく保育』深谷鋿作共編、時事通信社、市民の学術双書、1974
  • 『福祉・障害者・大学 障害者の教育権と社会福祉研究・教育体制』浦辺史小川政亮共編、ミネルヴァ書房、1975

脚注

[編集]
  1. ^ 訃報欄 小川太郎氏(日本福祉大学学監、元神戸大学教育学部教授)『朝日新聞』1974年2月1日朝刊、13版、19面

参考サイト

[編集]