小山田秀生
小山田 秀生 | |
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別名 | 大山田秀生 |
個人情報 | |
生誕 |
1941年5月10日(83歳) |
宗教 | 世界基督教統一神霊協会 |
配偶者 | 小山田儀子 |
子供 | 堀守子 |
出身校 | 東北大学卒業 |
別名 | 大山田秀生 |
小山田 秀生(おやまだ ひでお、1941年(昭和16年)5月10日 - )は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会の日本統一教会第4・9代会長。元国際勝共連合会長、元世界平和連合会長、元天宙平和連合日本会長。
妻の小山田儀子はアジア平和女性連合(現・世界平和女性連合)[1][2][3]の初代議長[4]。娘の堀守子は世界平和女性連合の日本会長を務めている[5][6][7]。
経歴
[編集]山形県出身[8]。東北大学を卒業。世界基督教統一神霊協会に入教し、1968年(昭和43年)に全国大学原理研究会の会長に就任する[9]。
1969年(昭和44年)5月1日、統一教会本部で22組の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した[10][11]。このときに小山田は岸本匡代と結ばれた[注 1]。妻は「小山田儀子」と名乗るようになった。
1987年(昭和62年)、文鮮明はアジア平和女性連合(現・世界平和女性連合)を日本で設立[1][2][3]。妻の儀子が同団体の初代議長に就任した[4]。
1994年(平成6年)5月6日、世界基督教統一神霊協会日本教会の第4代会長に就任。1995年(平成7年)まで同会長を務めた[14]。2001年(平成13年)に再び同教会の9代会長に再任し、2006年(平成18年)まで務めた[14]。
2001年(平成13年)に国際勝共連合会長、2003年(平成15年)に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)日本議長、2004年(平成16年)に世界平和連合会長に就任[14]。2007年(平成19年)にUPF日本顧問、2008年(平成20年)にUPF日本会長、2013年(平成25年)にUPF日本共同会長に就任[14]。
また2009年(平成21年)に分捧王、2014年(平成26年)にUPF中華圏特命総使、平和統一聯合会長と天一国最高委員会委員、2016年(平成28年)に日本統一思想研究院院長、2017年(平成29年)にUPF台湾常任顧問と天議苑苑長、2020年(令和2年)に元老牧会者会会長に就任[14]。
著書
[編集]- 『統一思想評論集』(1977年6月1日、全国大学連合原理研究会新聞局)
- 『日本版収容所列島 : 共産党の宗教迫害』(1984年6月1日、善本社)
- 『神による新しい人生―小山田秀生講話集』(1985年4月1日、 光言社)
- 『地球村をめざして: 文鮮明・思想と統一運動2』(1989年11月1日、光言社)
- 『真の父母様の御跡を慕って:自叙伝』(2021年5月1日、光言社)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『統一世界』1991年12月号。
- ^ a b 柿田睦夫「霊感商法被害の新たなひろがりと統一協会の動向」 『前衛』1993年6月号、日本共産党中央委員会、30-32頁。
- ^ a b “一日の出発をみ言と共に! 真の父母の絶対価値 83 アジア平和女性連合”. 光言社 (2023年12月18日). 2024年11月25日閲覧。
- ^ a b 浅見定雄『新宗教と日本人』晩聲社、1994年6月14日。ISBN 978-4891882402。
- ^ “第66回国連女性の地位委員会(CSW66)にてWFWP日本主催のパラレルイベント開催”. 世界平和女性連合 (2022年4月13日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ “WFWP(世界平和女性連合)の創立30周年特別講演に参加”. 石川ナオミ オフィシャルサイト (2022年5月8日). 2022年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月1日閲覧。
- ^ “『True Peace』2015年2月号”. PeaceTV. 2022年12月3日閲覧。
- ^ 1969年,社会問題研究会,双葉社『全学連各派』
- ^ 1987年,キリスト新聞社『キリスト教年鑑』
- ^ “【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回)”. 光言社 (2021年10月13日). 2022年11月8日閲覧。
- ^ “真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
- ^ 文藝春秋編 2022, pp. 56–57.
- ^ “統一教会・先輩家庭の苦労を称え、伝統の相続を誓う”. 中和新聞 (2012年8月21日). 2022年11月8日閲覧。
- ^ a b c d e 文藝春秋編 2022.
参考文献
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