小塩八郎右衛門
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小塩 八郎右衛門(こしお はちろうえもん、1865年12月27日(慶応元年11月10日)[1] - 1947年(昭和22年)1月17日[2])は、明治時代から昭和時代初期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。前名は堅作[1][3]。
経歴
[編集]小塩八郎右衛門寛蔵利殖の長男として[3][4]、相模国大住郡戸田村[4](神奈川県中郡相川村を経て現・厚木市)に生まれる[5][6]。1883年(明治16年)10月[注 1]、家督を相続し前名を改め八郎右衛門を襲名した[1][4]。小笠原東洋[注 2]に漢学を学ぶ[3]。農業を営み、相川村収入役[7]、同村長、神奈川県会議員、地方森林会議員、県農会副会長、徴兵参事員、所得調査委員を歴任する[2]。ほか、神奈川県農工銀行頭取、産業組合中央会支部長を務めた[2]。
1917年(大正6年)第13回衆議院議員総選挙で神奈川県郡部から無所属で出馬して当選[5]。当選後、新政会に所属した[5]。ついで1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙では神奈川県第6区から立憲政友会所属で出馬して当選した[6]。また、神奈川県多額納税者として貴族院議員に互選され、1925年(大正14年)9月29日[8]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 人事興信所 1915, こ32頁.
- ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 185頁.
- ^ a b c 人事興信所 1928, コ13頁.
- ^ a b c 『神奈川県史 別編1』309頁。
- ^ a b c 衆議院事務局 1917, 269頁.
- ^ a b 衆議院事務局 1920, 269頁.
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 191頁.
- ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1917年 。
- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1920年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。