小堀城
表示
小堀城 (兵庫県) | |
---|---|
城郭構造 | 平城・城館 |
築城主 | 三枝氏(光枝氏) |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 三枝治吉 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 土塁、虎口 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 兵庫県No.190045「小堀城遺跡」[2] |
位置 | 北緯34度53分11.6秒 東経134度55分41.5秒 / 北緯34.886556度 東経134.928194度座標: 北緯34度53分11.6秒 東経134度55分41.5秒 / 北緯34.886556度 東経134.928194度 |
地図 |
小堀城(こぼりじょう)は、兵庫県小野市河合中町小字小堀にあった日本の城。河合城・堀井城と共に一体の城郭群を形成していたと考えられている[3]。
概要
[編集]加古川右岸の沖積地上に立地する中世城館である。付近には「イバ」と言う字名が残る[3]。
本曲輪跡地およびその南西部に土塁が残存し、土塁南西端には虎口が残る。『上月文書』『播磨征伐之事』等の記録史料によれば、城主は赤松氏一族の三枝氏(光枝氏)と伝わる。『日本城郭大系』では、近隣の赤松氏系氏族の城郭である河合城・堀井城と水路で結ばれ、一体化していたと考えられている[3][4][5]。加古川の河川交通を抑える重要な役割を果たしていた。
加古川市・三木市・小野市・加西市は、戦国時代の歴史の舞台となった城跡が多数存在するなど、「三木合戦」を通じて密接につながっている地域である。この4市の観光協会では、東播磨・北播磨に点在する城跡を活用した観光客の誘客を促進するため、御城印を制作してきた。小野市では、その第2弾として阿形城・来住城・小堀城の御城印を発行し、2022年(令和4年)11月1日より販売した[6]。
所在地
[編集]小野市河合中町小字小堀
最寄駅
[編集]周辺史跡・寺社
[編集]- 小野陣屋跡
- 金鑵城跡(金鑵城遺跡広場)
- 河合城跡
- 河合館跡
- 河合西廃寺跡
- 河合廃寺跡
- 広渡廃寺跡(国史跡広渡廃寺跡歴史公園)
- 浄土寺(新西国三十三箇所観音霊場)
- 鈴之宮神社
- 近津神社
- 堀井城跡(堀井城跡ふれあい公園)