小出寿之太
小出 寿之太(こいで ひさゆきた?[1]、安政5年1月4日(1858年2月17日) - 1923年(大正12年)9月18日)は、明治時代の数学教師。大阪府第三中学校、大阪府第二中学校校長。祖父小出兼政、父小出由岐太は共に徳島藩の和算家。
経歴
[編集]安政5年(1858年)1月4日生[2]。明治4年(1871年)2月9日徳島藩算学教授、1873年(明治6年)2月4日名東県富田小学校教員となり、1877年(明治10年)2月21日高知県徳島師範学校(徳島大学)に転勤した[3]。
1879年(明治12年)10月20日京都府雇として学務課に出仕、中学・師範学校八等助教を兼任し、1882年(明治15年)9月25日京都府師範学校(京都教育大学)三等教諭、1886年(明治19年)12月10日尋常師範学校教諭を務めた[3]。
1888年(明治21年)3月31日第五高等中学校(熊本大学)教諭となり、1889年(明治22年)9月9日第三高等中学校(京都大学)教諭、1890年(明治23年)10月15日教授となった[3]。この時予科在学中の喜田貞吉に数学を教えている[4]。
1892年(明治25年)5月18日滋賀県尋常中学校(滋賀県立彦根東高等学校)教師を嘱託され、1894年(明治27年)7月7日教諭となり、1897年(明治30年)2月12日休職、4月14日退職した[3]。
1898年(明治31年)1月17日大阪府第三尋常中学校(大阪府立八尾高等学校)教諭となり、1901年(明治34年)2月20日第三中学校校長、1905年(明治38年)9月20日第二中学校(大阪府立三国丘高等学校)校長を務めた[3]。
1914年(大正3年)4月20日退職し、堺市大浜町に隠居した[3]。1923年(大正12年)9月18日死去し、23日妙国寺で葬儀が行われた[5]。
訳書
[編集]- リチャード・P・ライト原著『来徳氏著 平面幾何学』
- Richard P. Wright, The Elements of Plane Geometry
- アイザック・トドハンター原著『学校用本 代数学』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- Isaac Todhunter, Algebra For Beginners - Google ブックス
- チャールズ・スミス原著、中久木信順共訳『スミス氏小代数学』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- Charles Smith, Elementary Algebra - Google ブックス
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 安藤洋美「明治数学史の一断面 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1195巻、京都大学数理解析研究所、2001年4月、176-190頁、CRID 1050282677086516608、hdl:2433/64831、ISSN 1880-2818。
- 喜田貞吉「小出寿之太先生」『社会史研究』第10巻第4号、日本学術普及会、1923年。
- 小出植男『小出長十郎先生伝』小出植男、1917年。NDLJP:926973/40