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アイザック・トドハンター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アイザック・トドハンター
Isaac Todhunter
生誕 (1820-11-23) 1820年11月23日
イングランド,ライ, サセックス,
死没 1884年3月1日(1884-03-01)(63歳没)
イングランド,ケンブリッジ,ケンブリッジシャー
国籍 イギリス
研究分野 数学
出身校 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
ロンドン大学
セント・ジョンズ・カレッジ (ケンブリッジ大学)
指導教員 ウィリアム・ホプキンズ
主な受賞歴 スミス賞 (1848)
アダムス賞 (1871)
バーニー賞
プロジェクト:人物伝
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アイザック・トドハンター: Isaac Todhunter1820年11月23日 - 1884年3月1日)はイギリス数学者数学数学史に関する書籍で有名。

経歴と業績

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サセックスライで、非国教主義者英語版の大臣であるジョージ・トドハンターと、マリー・ヒュームの間に生まれる。1826年、ジョージ・トドハンターが亡くなった後、マリー・ヒュームが開いた学校があるヘイスティングスで学ぶ。 また、最初はロバート・カー(Robert Carr)の運営する学校に所属していたが、ジョン・バプテスト・オースティン英語版の運営する学校へ転校した[1]

トドハンターはド・モルガンの影響を受け、カレッジ・ロンドンに通いながら、ペッカム英語版にある学校の助修士となった。1842年、数学で奨学金を取得し、学士としてロンドン大学を卒業。更に、修士試験では金賞を獲得した。同時にウィンブルドンの学校の修士となった[2]

1844年、セント・ジョンズ・カレッジ英語版に入学し、1848年、シニア・ラングラー英語版となり、スミス賞とバーニー賞を受賞、1849年はフェローシップに選出された。また、大学講師や家庭教師を始めた[3]。1862年、王立協会フェローに選出され、1865年、Mathematical Society of Londonの会員になった[4]。 1871年には、アダムズ賞を受賞し、王立協会の議員となった。1874年、セント・ジョンズ・カレッジ英語版の名誉教員に選ばれたが、1864年に結婚したことを理由に辞退した。1880年、トドハンターは視力を失い始め、直後麻痺に襲われた[2]

彼はケンブリッジのミル・ロード墓地英語版に埋葬された[2]

私生活

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トドハンターは1864年8月13日、王立海軍大佐(後に提督、当時は地方警察英語版長)のジョージ・デイヴィスの長女、ルイーザ・アンナ・マリア(Louisa Anna Maria)と結婚した。彼は1884年3月1日、ケンブリッジのブルックサイド6で亡くなった。彼の肖像とメダリオンは、彼の妻によって、彼の大学のアンテチャペル英語版に置かれている。彼は4人の息子と1人の娘を持っていた[2]

彼は、ラテン語ギリシャ語の学者で、フランス語ドイツ語スペイン語イタリア語ロシア語ヘブライ語サンスクリット語にも精通していた。また、哲学史も豊富であった。彼は、トライポス英語版道徳科学の試験官を3度行った[2]

書籍

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未出版であった「The History of the Theory of Elasticity」は1886年、カール・ピアソンによって編集、出版された。 ウィリアム・ヒューウェルの伝記は1876年に、科学雑誌にあった論文とともに出版された。

トドハンターは代数学三角法の教科書やロバート・シムソンユークリッド原論の翻訳の改定版を書いている。これは、トーマス・リトル・ヒース英語版によって紹介され、1933年、エブリマン・ライブラリー英語版によって再出版された[5]

トドハンターの最も主要な業績には、1865年に初版が決定した、ブレーズ・パスカルからピエール=シモン・ラプラスまでの時代の確率論歴史をまとめた本がある[6][7]

邦訳書籍
  • 安藤洋美 訳『確率論史』(新装版)現代数学社、2017年。ISBN 978-4768704752 
  • 長沢亀之助 訳『積分学』丸屋善七、1882年。doi:10.11501/828983 
  • 長沢亀之助 訳『平面三角法』共立社、1928年。doi:10.11501/1081844 
  • 長沢亀之助 訳『球面三角法』川北朝鄰、1883年。doi:10.11501/828602 
  • 長沢亀之助 訳『宥克立(ユークリッド)』東京数理書院、1884年。doi:10.11501/828946 
  • 長沢亀之助 訳『論理方程式』東京数理書院、1884年。doi:10.11501/828385 
  • 熊沢善庵 訳『代数学』嵩山堂、1887年。doi:10.11501/828077 
  • 曽禰達蔵 訳『幾何学(突氏)』西宮松之助、1884年。doi:10.11501/901834 
  • 高橋豊夫 訳『新中学代数学 上』文学社、1898年。doi:10.11501/828042 
  • 高橋豊夫 訳『新中学代数学 下』文学社、1898年。doi:10.11501/828043 
  • 上野清 訳『軸式円錐曲線法』東京数理書院、1881年。doi:10.11501/828667 

出典

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  1. ^ Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/27493 {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明) (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e Lee, Sidney, ed. (1898). "Todhunter, Isaac" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 56. London: Smith, Elder & Co.
  3. ^ "Isaac Todhunter (IsaacTodhunter)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ Todhunter; Isaac (1820–1884); Mathematician; Fellow of Royal Society”. Search for Fellows. Royal Society (5 June 1862). 2008年8月4日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ Cairns, W. D. (June–July 1934). “The Elements of Euclid. by Isaac Todhunter; Thomas L. Heath”. The American Mathematical Monthly 41 (6): 383. doi:10.2307/2301562. JSTOR 2301562. 
  6. ^ Kendall, M. G. (June 1963). “Isaac Todhunter's History of the Mathematical Theory of Probability”. Biometrika 50 (1/2): 204–205. doi:10.2307/2333762. JSTOR 2333762. 
  7. ^ Gini, Corrado (1955). “A History of the Mathematical Theory of Probability from the time of Pascal to that of Laplace by I. Todhunter”. Genus 11 (1/4): 307–308. JSTOR 29787294. 

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参考文献

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  • Obituary notices: Proc. Lond. Math. Soc. (1884) and Proc. Roy. Soc. 37, p. xxvvii (1884)
A digital version of the above obituary is at the Gallica site.

外部リンク

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