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対馬市立豊小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
対馬市立豊小学校
地図北緯34度41分08秒 東経129度27分22秒 / 北緯34.685694度 東経129.456167度 / 34.685694; 129.456167座標: 北緯34度41分08秒 東経129度27分22秒 / 北緯34.685694度 東経129.456167度 / 34.685694; 129.456167
過去の名称 第五大学区第四中学区佐須奈小学校豊村分校
佐須奈学区公立中等佐須奈小学校豊分校
鰐浦学区簡易豊小学校
尋常豊小学校
豊尋常小学校
豊尋常高等小学校
豊崎第二豊国民学校
豊崎村国民学校豊分校
豊崎村立豊小学校
豊崎町立豊小学校
上対馬町立豊小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
設立年月日 1874年明治7年)
閉校年月日 2024年(令和6年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002669 ウィキデータを編集
所在地 817-1724
長崎県対馬市上対馬町豊793番地
外部リンク  公式ブログ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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対馬市立豊小学校(つしましりつ とよしょうがっこう, Tsushima City Toyo Elementary School)は、長崎県対馬市上対馬町 [1]豊にあった公立小学校。略称は「豊小」(とよしょう)。対馬最北端にある小学校であった[2]

2024年(令和6年)3月末をもって閉校し、対馬市立比田勝小学校に統合された[3]

概要

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歴史
1874年明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区[4]佐須奈小学校 豊村分校」を前身とする。2024年(令和6年)3月末に閉校し、150年の歴史に幕を閉じた。
校区
住所表記で対馬市上対馬町[1]の後に「鰐浦(わにうら)、豊」が続く地区[5][6]
中学校区は対馬市立比田勝中学校

沿革

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  • 1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校 豊村分校」が竺林院に開校。
  • 1885年(明治17年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校 豊分校」に改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令により、「鰐浦[7]学区簡易豊小学校」に改称。
  • 1890年(明治23年)- 簡易鰐浦小学校と簡易泉小学校を統合し、「尋常豊小学校」に改称。後に「豊尋常小学校」となる。
  • 1899年(明治32年)- 高等科を併置し、「豊尋常高等小学校」となる。(尋常科4ヶ年(義務教育)、高等科4ヶ年)
  • 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。(尋常科6ヶ年(義務教育)、高等科2ヶ年)
  • 1917年(大正6年)- 豊農業補習学校を併設。
  • 1921年(大正10年)- 比田勝尋常高等小学校へ泉地区を校区移管。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の豊農業補習学校を豊青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 統合により「豊崎村国民学校 豊分校」に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・国民学校豊分校の初等科が改組され、「豊崎村立豊小学校」となる。
    • 旧・国民学校豊分校の高等科と旧・豊青年学校が改組され、豊崎村立豊中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)12月1日 - 町制施行により、「豊崎町立豊小学校(・中学校)」に改称。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町[9]の発足により、「上対馬町立豊小学校(・中学校)」に改称。
  • 1962年(昭和37年)- 新校舎が完成し移転。運動場を拡張。
  • 2000年(平成12年)- 現在地に新体育館が完成。
  • 2001年(平成13年)- 現在地に新校舎が完成し移転を完了。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立豊小学校(・中学校)」(現校名)となる。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 併設の対馬市立豊中学校が対馬市立比田勝中学校に統合され、併設を解消し小学校単独となる。
  • 2024年(令和6年)

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路
最寄りの港

参考文献

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  • 「上對[11]馬町史」(1985年(昭和60年)8月20日発行, 上対馬町役場)p.660~p.661

脚注

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  1. ^ a b 対馬市発足前は「かみつしまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「かみつしままち」と読まれるようになった。
  2. ^ 豊小学校の閉校により、統合先の対馬市立比田勝小学校が対馬最北端の小学校となった。
  3. ^ a b 新年のご挨拶 - 対馬新聞 第4323号 (2024年(令和6年)1月1日)
  4. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐対馬は第四中学区に属していた。
  5. ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
  6. ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
  7. ^ 読みは「わにうら」。
  8. ^ 第一国民学校は旧・比田勝尋常高等小学校(現・対馬市立比田勝小学校)。
  9. ^ 豊崎町と琴村(きん)の合併。
  10. ^ 対馬市立豊小学校ブログ
  11. ^ 「対」の旧字体。

関連項目

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外部リンク

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