対馬市立比田勝小学校
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対馬市立比田勝小学校 | |
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北緯34度39分13.216秒 東経129度27分23.461秒 / 北緯34.65367111度 東経129.45651694度座標: 北緯34度39分13.216秒 東経129度27分23.461秒 / 北緯34.65367111度 東経129.45651694度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区佐須奈小学校比田勝分校 佐須奈学区公立中等佐須奈小学校比田勝分校 鰐浦学区簡易比田勝小学校 鰐浦学区尋常比田勝小学校 比田勝尋常小学校 比田勝尋常高等小学校 豊崎第一比田勝国民学校 豊崎村国民学校 豊崎村立比田勝小学校 豊崎町立比田勝小学校 上対馬町立比田勝小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 |
津和尋常小学校 大浦尋常小学校 上対馬町立浜玖須小学校 上対馬町立比田勝小学校津和分校 上対馬町立舟志小学校 対馬市立豊小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002650 |
所在地 | 〒817-1701 |
長崎県対馬市上対馬町比田勝379番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立比田勝小学校(つしましりつ ひたかつしょうがっこう, Tsushima City Hitakatsu Elementary School)は、長崎県対馬市上対馬町 [1]比田勝にある公立小学校。略称は「比小」(ひしょう)。
2024年(令和6年)には対馬市立豊小学校を統合したことにより、比田勝小学校が対馬ならびに長崎県最北端の小学校となった。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区[2]佐須奈小学校比田勝分校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校区
- 住所表記で対馬市上対馬町[1]の後に「河内(かわち)、大浦(おおうら)、泉(いずみ)、西泊(にしどまり)、古里(ふるさと)、比田勝(ひたかつ)、網代(あじろ)、富浦(とようら)、津和(つわ)、唐舟志(とうじゅうし)、浜久須(はまぐす)、玖須(くす)、大増(おおます)、舟志(しゅうし)、五根緒(ごねお)、鰐浦(わにうら)、豊(とよ)」が続く地区。[3][4]
- 中学校区は対馬市立比田勝中学校
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校比田勝分校」が開校。
- 1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校比田勝分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、「鰐浦[5]学区簡易比田勝小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)-「比田勝学区尋常比田勝小学校」に改称。後に「比田勝尋常小学校」となる。
- 1900年(明治33年)- 高等科を併置し、「比田勝尋常高等小学校」となる。(尋常科4ヶ年(義務教育)、高等科4ヶ年)
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。(尋常科6ヶ年(義務教育)、高等科2ヶ年)
- 1911年(明治44年)- 高等科3年を設置。(尋常科6ヶ年(義務教育)、高等科3ヶ年)
- 1913年(大正2年)- 校舎を新築。
- 1917年(大正6年)- 比田勝農業補習学校を併設。
- 1919年(大正8年)- 津和尋常小学校を統合し、津和分教場とする。
- 1920年(大正9年)- 大浦尋常小学校[6]を統合。
- 1921年(大正10年)- 豊尋常高等小学校より泉地区が校区移管される。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の比田勝農業補習学校を比田勝青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 「豊崎村国民学校」に改称。第二国民学校を統合し、豊分校とする。津和分教場を津和分校とする。併設の青年学校が豊崎村青年学校に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧・豊崎国民学校の初等科が改組され、「豊崎村立比田勝小学校」となる。豊分校が分離し、豊崎村立豊小学校として独立。
- 旧・豊崎村国民学校の高等科と旧・豊崎村青年学校が改組され、豊崎村立比田勝中学校(新制中学校)となる。旧・豊崎青年学校校舎を仮校舎として使用。
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 浜玖須分校が分離し、豊崎村立浜玖須小学校として独立。
- 12月1日 - 町制施行により、「豊崎町立比田勝小学校」に改称。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町[8]の発足により、「上対馬町立比田勝小学校」に改称。
- 1961年(昭和36年)- 新校舎が完成。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 上対馬町立浜玖須小学校を統合。
- 1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 津和分校を統合。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 上対馬町立舟志小学校(しゅうし)を統合。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立比田勝小学校」(現校名)となる。
- 2024年(令和6年)4月1日 - 対馬市立豊小学校を統合[9]。
- 旧・浜玖須小学校(はまぐす)
- 1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校玖須分校」として玖須村観音寺に開校。
- 1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校浜玖須分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、「鰐浦学区簡易浜玖須小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)- 簡易大増小学校[10]を合併し、「比田勝学区尋常浜玖須小学校」に改称。簡易唐舟志小学校[11]を統合し、唐舟志分教場とする。
- 後に「浜玖須尋常小学校」と改称し、補習科(修業年限3ヶ年)を併置。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたことにより、併置の補習科を廃止。
- 1911年(明治44年)- 唐舟志分校が津和浜に移転し、富浦尋常小学校を統合の上、津和分教場に改称。
- 1912年(大正元年)- 津和分教場が分離し、津和尋常小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 統合により、「豊崎第一比田勝国民学校 浜玖須分校」となる。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 「豊崎村国民学校 浜玖須分校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「豊崎村立比田勝小学校浜玖須分校」に改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 豊崎村立比田勝小学校より分離し、「豊崎村立浜玖須小学校」として独立。
- 1953年(昭和28年)- 大増に校舎を建設し移転。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町の発足により、「上対馬町立浜玖須小学校」に改称。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 閉校。
- 旧・舟志小学校(しゅうし)
- 最終所在地 - 対馬市上対馬町舟志甲824番地(北緯34度36分24.2秒 東経129度25分44.7秒 / 北緯34.606722度 東経129.429083度)
- 1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校舟志分校」として開校。
- 1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校舟志分校」に改称。
- 1887年(明治20年)- 小学校令により、「琴学区簡易舟志小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)-「琴学区尋常舟志小学校」に改称。簡易五根緒小学校[12]を統合し、五根緒分教場とする。後に「舟志尋常小学校」と改称。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長。
- 1910年(明治43年)- 五根緒分教場が分離し、五根緒尋常小学校として独立。
- 1915年(大正4年)- 高等科を併置し、「舟志尋常高等小学校」に改称。
- 1919年(大正8年)- 五根緒尋常小学校を統合し、再び五根緒分教場とする。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により「舟志国民学校」となる。尋常科を初等科に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧・国民学校の初等科が改組され、「琴村立舟志小学校」となる。
- 旧・国民学校の高等科が改組され、琴村立舟志中学校となり、小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)- 中学校校舎が完成。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町の発足により、「上対馬町立舟志小学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)- 新校舎が完成。
- 1964年(昭和39年)- へき地集会所(講堂)が完成。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 五根緒分校を統合。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 上対馬町立比田勝中学校への統合で上対馬町立舟志中学校が廃止。併設を解消し、小学校単独となる。
- 1988年(昭和63年)3月31日 - 閉校。舟志小学校の跡地は2012年(平成24年)現在、「舟志の森自然学校」として活用されている[13]。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 対馬交通 「比田勝」バス停
- 最寄りの道路
- 最寄りの港
周辺
[編集]- 長崎県立上対馬高等学校
- 対馬市立比田勝中学校
- 対馬市立比田勝こども園(対馬市立比田勝幼稚園と比田勝保育所、泉保育所が統合)
- 対馬市役所上対馬振興部(旧・上対馬地域活性化センター)・上対馬総合センター
- 対馬北警察署比田勝警察官駐在所
- 対馬市消防本部上対馬出張所
- 比田勝郵便局
- 上対馬病院
- 豊崎神社
- 宝林寺
参考文献
[編集]- p.662~p.663(比田勝小学校), p.664(比田勝中学校), p.665~p.666(旧・舟志小・中学校), p.672~p.673(旧・浜玖須小学校), p.674~p.675(旧・五根緒分校, 旧・津和分校)
脚注
[編集]- ^ a b 対馬市発足前は「かみつしまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「かみつしままち」と読まれるようになった。
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐と対馬は第四中学区に属していた。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照
- ^ 読みは「わにうら」。
- ^ 1874年(明治7年)に「第五大学区第四中学区佐須奈小学校大浦分校」として開校。
- ^ 第二国民学校は旧・豊尋常高等小学校(現・対馬市立豊小学校)。
- ^ 豊崎町と琴村(きん)の合併。
- ^ 新年のご挨拶 - 対馬新聞 第4323号 (2024年(令和6年)1月1日)
- ^ 1874年(明治7年)に「第五大学区第四中学区佐須奈小学校大増分校」として開校。
- ^ 1874年(明治7年)に「第五大学区第四中学区佐須奈小学校唐舟志分校」として開校。
- ^ 1874年(明治7年)に「第五大学区第四中学区佐須奈小学校五根緒分校」として開校。
- ^ 舟志の森自然学校
- ^ 「対」の旧字体。
関連項目
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