対馬市立乙宮小学校
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対馬市立乙宮小学校 | |
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北緯34度25分05秒 東経129度21分55秒 / 北緯34.418111度 東経129.36525度座標: 北緯34度25分05秒 東経129度21分55秒 / 北緯34.418111度 東経129.36525度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区曽村小学校 仁位学区公立中等仁位小学校下等曽分校 仁位学区簡易曽小学校 仁位学区尋常曽小学校 曽尋常小学校 乙宮尋常小学校 乙宮尋常高等学校 仁位村立乙宮国民学校 仁位村立乙宮小学校・中学校 豊玉村立乙宮小学校・中学校 豊玉町立乙宮小学校・中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)6月1日 |
閉校年月日 | 2023年(令和5年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002598 |
所在地 | 〒817-1212 |
長崎県対馬市豊玉町曽1番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立乙宮小学校(つしましりつ おとみやしょうがっこう, Tsushima City Otomiya Elementary School)は、長崎県対馬市豊玉町 [1]曽(そ)にあった公立小学校。
2023年(令和5年)3月末をもって閉校し、対馬市立豊玉小学校に統合された[2]。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に文部省によって正式に設置認可された「第五大学区第四中学区[3](大船渡学区)曽村小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。2023年(令和5年)3月末に閉校し、149年の歴史に幕を下ろした。
- 校章
- 中央に校名の「乙宮」の文字(縦書き)を置く。
- 校歌
- 作詞は梅野初平、作曲は長嶋曙光による。歌詞は2番まであり、両番とも校名の「乙宮校」で終わる。
- 校区
- 住所表記で対馬市豊玉町[1]の後に「千尋藻(ちろも)、曽(そ)、位之端(いのはし)」が続く地区[4][5]。
- 中学校区は対馬市立豊玉中学校。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)6月1日 - 曽村に「第五大学区第四中学区(大船越学区)曽村小学校」の設置が文部省によって正式に認可。
- 1875年(明治8年) - 旧寺院・修林寺を教場にして開校。
- 1883年(明治16年)- 「仁位学区公立中等仁位小学校下等曽分校」に改称。
- 1886年(明治19年)7月 - 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「仁位学区簡易曽小学校」に改称。瀬田に新校舎が完成。
- 1891年(明治24年)
- 1893年(明治26年)
- 1908年(明治41年)
- 1909年(明治42年)
- 4月 - 尋常科6年を設置。
- 11月19日 - 梅野周太郎の寄贈により、曽1番地(現在地)に新校舎が完成。校名を「乙宮尋常小学校」に改める。また以後この日を開校記念日とする。
- 1913年(大正2年)11月30日 - 乙宮農業補習学校を併置。
- 1915年(大正4年)10月31日 - 天皇・皇后御真影を下賜。
- 1917年(大正6年)5月18日 - 高等科を併置し、「乙宮尋常高等小学校」に改称。
- 1919年(大正8年)9月12日 - 校舎を増築。
- 1922年(大正11年)6月25日 - 運動場整備のために埋立工事が完了。
- 1925年(大正14年)- 位の端地区の児童が移管される。
- 1928年(昭和3年)10月22日 - 天皇・皇后御真影を下賜。
- 1932年(昭和7年)4月9日 - 運動場を拡張。
- 1933年(昭和8年)7月20日 - 家事室を設置。
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)2月9日 - 奉安殿が完成。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の乙宮農業補習学校が乙宮青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)5月10日 - 御真影奉還壕地が完成。
- 1946年(昭和21年)1月4日 - 奉安殿を撤去。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・乙宮国民学校の初等科が改組され、「仁位村立乙宮小学校」となる。
- 旧・乙宮国民学校の高等科および旧・乙宮青年学校が改組され、仁位村立乙宮中学校となり小学校に併設。当分の間小学校と青年学校の校舎を利用。
- 1948年(昭和23年)7月24日 - 後援会が解散し、PTAが発足。
- 1950年(昭和25年)11月4日 - 中学校新校舎が完成。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)11月5日 - 校章を制定。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)4月 - 新校舎が完成。
- 1959年(昭和34年)4月10日 - へき地集会所(講堂)が完成。
- 1961年(昭和36年)3月25日 - 学校林を設定。
- 1962年(昭和37年)2月14日 - 中学校校舎を増築。
- 1963年(昭和38年)6月19日 - 中学校校舎に調理室が完成。
- 1964年(昭和39年)5月20日 - 中学校校舎に特別教室が完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立乙宮小学校・中学校」となる。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 豊玉町立乙宮中学校が廃止[7]され、併設を解消し単独校となる。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立乙宮小学校」(現校名)となる。
- 2023年(令和5年)
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 対馬交通 仁位・小鹿線 「曽」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]参考文献
[編集]- 「豊玉町誌」(1992年(平成4年)3月発行, 豊玉町役場)p.779 ~ p.783
脚注
[編集]- ^ a b 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
- ^ a b c 乙宮小第1回閉校準備委員会( 対馬市立乙宮小学校ブログ)
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二学区、旧島原藩が第三学区、旧平戸藩が第四学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
- ^ 読みは「ぬかだけ」。
- ^ この時、豊玉町立の中学校4校(仁位・乙宮・小綱・塩戸)が統合され、豊玉町立豊玉中学校が開校した。
- ^ 六御前神社の大銀杏 - ながさき旅ネット ウェブサイト
- ^ 千尋藻の漣痕 - ながさき旅ネット ウェブサイト