寺沢忠晴
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長5年(1600年) |
死没 | 元和8年4月1日(1622年5月11日) |
改名 | 次郎(幼名)、忠晴 |
戒名 | 来雲堅従大居士 |
墓所 | 佐賀県唐津市宇木 来雲寺 |
官位 | 従五位下式部少輔 |
藩 | 肥前唐津藩世嗣 |
氏族 | 寺沢氏 |
父母 | 寺沢広高、妻木貞徳娘 |
兄弟 |
忠晴、堅高、戸川正安正室、久昌院、 水谷勝隆継室 |
寺沢 忠晴(てらざわ ただはる)は、江戸時代前期の肥前国唐津藩の世嗣。官位は従五位下・式部少輔。
略歴
[編集]肥前唐津藩12万石を治めた寺沢広高の嫡男として誕生。母は妻木貞徳の娘。
慶長16年(1611年)叙任し、慶長12年(1607年)、豊臣姓を下賜された[1]。元和6年(1620年)には徳川秀忠への御目見を果たしたが、家督を継ぐことなく元和8年(1622年)に23歳で早世した。法名は来雲堅従大居士。
代わって、弟・堅高が嫡子となった。
出典
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜』11巻
脚注
[編集]- ^ 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。