寺地五一
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寺地 五一(てらち ごいち、1943年 - )は、日本の翻訳家、英語教師、先住民族支援活動家、元東京経済大学専任講師。
経歴
[編集]新潟県生まれ。高校生だった1961年から1962年にかけてAFS交換留学8期生として渡米し[1]、ニューヨーク州のマッセナ高等学校を卒業した[2]。
東京外国語大学卒業後、1967年から1971年にかけて神戸製鋼所に勤務した。東京外国語大学大学院修士課程(米文学専攻)に進み、修了[2][3]。日本獣医畜産大学(後の日本獣医生命科学大学)専任講師となり、1978年に東京経済大学専任講師に転じた。
1980年代には田島伸悟とともに、『初級クラウン英和辞典』の改訂に取り組んだ[4]。
1990年から1991年にかけて、コロラド大学ボルダー校を拠点として、各地の先住民族居留地の状況を見聞した[2]。
大学では専任講師のまま、学部長に相当する職である全学共通教育センター長を[5]、2002年から2004年にかけて務めた。2008年に、東京経済大学を退職した[2]。
長年国際交流ボランティアを続けており[3]、特に「草の根先住民サポーター」[6][7]、「先住民族サポーター」と称してアイヌとアボリジニの交流活動などを支援している[8]。また、ドキュメンタリーとして制作された2010年の映画『TOKYOアイヌ』の製作委員会にも参加した[7][9]。
主な著書・訳書
[編集]共著
[編集]訳書
[編集]- ウィリアム・コツウィンクル 著、バドティーズ大先生のラブ・コーラス、サンリオ(サンリオSF文庫)、1980年
- イアン・ワトスン 著、マーシャン・インカ、サンリオ(サンリオSF文庫)、1983年
- ジョエル・マコーワー 著、ウッドストック : 1969年・夏の真実、新宿書房、1991年
共訳書
[編集]- (高木直二との共訳) フィリップ・K・ディック 著、去年を待ちながら、東京創元社(創元推理文庫)、1989年
- (山崎陽子との共訳) リーン・ポールトフリート 絵、ヴィル・ヒュイゲン 文、ノーム 新版、サンリオ、1992年(後に愛蔵版、新装愛蔵版などがある)
- (寺地正子との共訳) ジェイムズ・W・ダグラス著、ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか : 語り得ないものとの闘い、同時代社、2014年
脚注
[編集]- ^ “AFS友の会レポート ジョン・F・ケネディの平和主義をいま考える(AFS友の会)”. AFS日本協会 (2015年11月30日). 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c d “アメリカ一日一言 大村 数一/寺地 五一【編著】”. 紀伊國屋書店. 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b “講座詳細情報 アメリカ映画を読む”. セカンドアカデミー. 2020年1月29日閲覧。
- ^ “初級クラウン英和辞典 第7版 田島伸悟,寺地五一改訂”. 国立国会図書館. 2020年1月29日閲覧。
- ^ 東京経済大学では、各学部と並列に置かれる組織として「全学共通教育センター」があり、学長、副学長、各学部長とともに全学共通教育センター長が参加する「学部長・センター長会議」が組織されている。:“東京経済大学 自己点検・評価 報告書 2011年度” (PDF). 東京経済大学. 2020年1月31日閲覧。 - 報告書内の各項目では、各学部に続けて全学共通教育センターが言及されている。:大学基準協会. “東京経済大学に対する大学評価(認証評価)結果” (PDF). 東京経済大学. p. 2. 2020年1月31日閲覧。 “... 各学部、「全学共通教育 センター」および学長、副学長が主催する「学部長・センター長会議」での議論を経たうえで「教員人事基本方針」として全学教授会において決定されるが、 ...”
- ^ “季刊誌 > 『FORUM OPINION』7号(2009.12)”. NPO現代の理論・社会フォーラム. 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b 「所報 2009. 1~12」(PDF)『専修大学社会科学年報』第44号、221頁、2020年1月29日閲覧。
- ^ “アイヌ文化アドバイザー星野 工さん、先住民族サポーター寺地 五一さん インタビュー アイヌ民族の「心」を守りながら、その過去と現在を伝えて生きる。”. Go豪メルボルン (2009年6月3日). 2020年1月29日閲覧。
- ^ “TOKYOアイヌ 映像製作委員会と賛同・推薦者”. 「TOKYOアイヌ」映像製作委員会. 2020年1月29日閲覧。
外部リンク
[編集]- ミクロコスモスからマクロコスモスへ - 地域情報誌『武蔵野から』掲載のエッセイ