富田忠利
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富田 忠利[1](とみた ただとし、1869年9月20日(明治2年8月15日)[2] - 没年不明)は、日本の実業家[2]。族籍は愛知県平民[3]。
経歴
[編集]愛知県・富田重左衛門の弟[4]、富田領助[5]の二男[2]。1908年、分家して一家を創立する[4]。土木請負業を営む[6]。土地開発に尽くす[2]。
諸会社の重役であり[2]、岩倉銀行常務取締役[4][7]。岩倉銀行、岩倉貯蓄銀行[5]、米袋殖産[6][8]、尾北貯蓄銀行[9]各取締役、旭電気鉄道監査役[4]などをつとめる。国勢調査員である[1]。
人物
[編集]家族・親族
[編集]- 富田家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『日本国勢調査記念録 第3巻 愛知県』21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 『地方自治政の沿革と其の人物 愛知県』82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』と44 - 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第8版』ト46、ト49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第12版』名古屋と之部21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月1日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第21版』名古屋と之部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第32回』愛知県 下編114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第25版』名古屋と之部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ 『帝国銀行会社要録 昭和3年』愛知県9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第36版』名古屋トの部54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月1日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』と39 - 40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第13版 下』ト47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本紳士録 第12版』交詢社、1908年。
- 交詢社編『日本紳士録 第21版』交詢社、1916年。
- 『日本紳士録 第25版』交詢社、1920年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 日本国勢調査記念出版協会編『日本国勢調査記念録 第3巻 愛知県』日本国勢調査記念出版協会、1922年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第32回』商業興信所、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和3年』帝国興信所、1928年。
- 『地方自治政の沿革と其の人物 愛知県』自治通信社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。