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富澤清太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富澤 清太郎
名前
愛称 カンペー
カタカナ トミサワ セイタロウ
ラテン文字 TOMISAWA Seitaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-07-08) 1982年7月8日(42歳)
出身地 神奈川県横浜市港北区
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF / DF(CB)
利き足 右足
ユース
1989-1994 日本の旗 読売日本SCユースS
横浜市立駒林小学校
1995-1997 日本の旗 読売日本SCジュニアユース
横浜市立日吉台西中学校
1998-2000 日本の旗 読売日本SCユース
東京実業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2011 日本の旗 東京ヴェルディ 184 (7)
2005 日本の旗 ベガルタ仙台(loan) 14 (0)
2012-2015 日本の旗 横浜F・マリノス 85 (9)
2015-2016 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 41 (3)
2017-2018 日本の旗 アルビレックス新潟 44 (0)
2019-2020 日本の旗 SC相模原 34 (4)
2021 日本の旗 東京ヴェルディ 4 (0)
通算 406 (23)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

富澤 清太郎(とみさわ せいたろう、1982年7月8日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダーディフェンダーセンターバック)。

来歴

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クラブ

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幼少時から東京ヴェルディの前身に当たる読売日本サッカークラブの下部組織でプレー。

2001年、トップチームに昇格するも、レギュラー獲得には至らず。

2005年ベガルタ仙台期限付き移籍。仙台では定位置をつかみかけたものの、シーズン途中で右足腓骨骨折の重傷を負い、後半戦はリハビリで棒に振った。

2006年、ヴェルディに復帰。前年の骨折が治りきっておらず3月に手術した影響でシーズン序盤は欠場したが、7月12日第27節の仙台戦で復帰。その後は徐々に出番を増やし、後半戦はスタメンに定着した。2007年土屋征夫の加入などもあり出番は流動的だったが、30試合に出場、J1昇格に貢献した。2008年は土屋と那須大亮がスタメンで固定されたため、ボランチやサイドバックとしての起用が多かった。2010年よりチームキャプテンを務めた。

2012年より横浜F・マリノスへ移籍。小椋祥平兵藤慎剛中町公祐ら中盤の厚い選手層の中で、ボランチとして多くの出場機会を得て、いくつか重要なゴールを決めた。トップ下の中村俊輔とも良好な関係を築き、久々に上位進出を果たした横浜を支えた。2013年はダブルボランチの一角として先発に定着し、チームのリーグ戦2位、21年ぶり7回目の天皇杯優勝に貢献。同年、自身初となるJリーグ優秀選手賞を受賞した。

2015年7月8日、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍した[1]2015年はセンターバック、2016年はボランチで主にプレー。2016年は副キャプテンを務めた。同年限りで契約満了により千葉を退団。

2017年よりアルビレックス新潟に完全移籍した[2]2018年限りで契約満了により新潟を退団した[3]

2019年、SC相模原へ完全移籍[4]

2021年、東京ヴェルディへ10年ぶりに完全移籍で復帰した[5]。2021年12月4日、契約満了により退団が発表された[6]

2022年1月31日、現役引退が発表された[7]

その他

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  • 「カンペー」のあだ名は小学生時代につけられ、間寛平に似ていることに由来している。
  • ニンテンドーDSボンバーマン愛好者であり、遠征バスの中で通信対戦をよくやっている。ヴェルディ時代「ヴェルディの中では1番強い」と選手たちに言われていた。富澤はボンバーマンについて「サッカーに似ていて、奥が深い」と語っている。
  • マリノスのチャントでは「日吉のヒーロー、漢・富澤」と歌われていた。新潟でのチャントは、アニメ「キン肉マン」のオープニングテーマ「キン肉マンGo Fight!」(串田アキラ)が原曲となっている。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 東京V 24 J1 1 0 0 0 1 0 2 0
2002 14 10 0 2 0 0 0 12 0
2003 6 0 3 0 2 0 11 0
2004 1 0 1 0 4 0 6 0
2005 仙台 4 J2 14 0 - 0 0 14 0
2006 東京V 14 18 3 - 0 0 18 3
2007 30 1 - 1 0 31 1
2008 J1 25 1 6 0 1 0 32 1
2009 J2 45 0 - 1 0 46 0
2010 31 2 - 0 0 31 2
2011 17 0 - 2 0 19 0
2012 横浜FM 27 J1 26 4 5 0 5 0 36 4
2013 29 3 6 0 6 1 41 4
2014 19 1 1 0 1 0 21 1
2015 11 1 6 1 - 17 2
千葉 15 J2 20 0 - 0 0 20 0
2016 21 3 - 1 0 22 3
2017 新潟 50 J1 24 0 0 0 1 0 25 0
2018 5 J2 20 0 1 0 0 0 21 0
2019 相模原 3 J3 16 3 - - 16 3
2020 18 1 - - 18 1
2021 東京V J2 4 0 - 0 0 4 0
通算 日本 J1 152 10 30 1 21 1 203 12
日本 J2 220 9 1 0 5 0 226 9
日本 J3 34 4 - - 34 4
総通算 406 23 31 1 26 1 463 25

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2014 横浜FM 27 3 0
通算 AFC 3 0

指導歴

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脚注

[編集]
  1. ^ 富澤清太郎選手加入のお知らせ ジェフユナイテッド市原・千葉公式サイト 2015年7月8日
  2. ^ ジェフユナイテッド市原・千葉から富澤 清太郎選手 完全移籍加入のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト 2017年1月9日
  3. ^ 契約満了選手のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト 2018年11月29日
  4. ^ 富澤清太郎選手 新加入のお知らせ SC相模原公式サイト 2019年1月23日
  5. ^ 富澤清太郎選手移籍加入のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2021年1月7日
  6. ^ 富澤清太郎選手契約満了のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2021年12月4日
  7. ^ 富澤清太郎選手引退のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2022年1月31日

関連項目

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外部リンク

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