富永村 (石川県)
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とみながむら 富永村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 富永村、羽咋町、千里浜村、粟ノ保村、一ノ宮村、越路野村、上甘田村、下甘田村上中山 → 羽咋町 |
現在の自治体 | 羽咋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 羽咋郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,652人 (1953年) |
隣接自治体 | 石川県:羽咋郡羽咋町、粟ノ保村、邑知町、越路野村 |
富永村役場 | |
所在地 | 石川県羽咋郡富永村深江 |
座標 | 北緯36度54分10秒 東経136度48分06秒 / 北緯36.90286度 東経136.80158度座標: 北緯36度54分10秒 東経136度48分06秒 / 北緯36.90286度 東経136.80158度 |
ウィキプロジェクト |
村の名称は、中世に存在した「富永保」「富永荘」に因む。
地理
[編集]現在の羽咋市の中部。現在の羽咋市の中心市街地の東隣に位置し、全体的に平地で、水田が主の村だった。
歴史
[編集]- 中世 - 「太田富永荘」「富永保」が当地に存在した。
- 江戸期 - 「邑智院」に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、羽咋郡東太田村、西太田村、石野町村、三ツ屋村、深江村及び吉崎村を廃し、その区域をもって羽咋郡富永村を設置する。
- 1911年(明治44年)- 字東太田及び字西太田の区域を字太田に設定する。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 羽咋郡羽咋町、千里浜村、粟ノ保村、富永村、一ノ宮村、越路野村及び上甘田村を廃し、その区域及び下甘田村字上中山の区域をもって羽咋郡羽咋町を設置する。富永村の5大字は羽咋町の大字に継承。[1]
教育
[編集]- 富永村立富永小学校[2]