富樫泰成
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時代 | 室町時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 泰成→慈顕(法名) |
官位 | 中務大輔 |
父母 | 父:富樫泰高または富樫満春[1] |
兄弟 | (満春が父の場合)持春、教家、泰高、泰成 |
子 | 稙泰 |
富樫泰高または富樫満春の子として誕生。後に剃髪して慈顕を名乗った。生来病弱であり、家督も父の意向により一族の富樫政親に譲られた。また、幕府と交渉する立場を取り京に住み続けたという。
文明年間(1469年-1486年)に高尾城の戦いを見ずに京で死去したという。『永享以来御番帳』や『親元日記』では文明13年(1481年)に存命とされているので没年はそれ以降とされる。
脚注
[編集]- ^ 『系図纂要』では富樫満春の四男とされる。
出典
[編集]- 『系図纂要』