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富樫泰成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
富樫泰成
時代 室町時代
生誕 不明
死没 不明
改名 泰成→慈顕(法名)
官位 中務大輔
父母 父:富樫泰高または富樫満春[1]
兄弟 (満春が父の場合)持春教家、泰高、泰成
稙泰
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富樫 泰成(とがし やすなり)は、室町時代武士

富樫泰高または富樫満春の子として誕生。後に剃髪して慈顕を名乗った。生来病弱であり、家督も父の意向により一族の富樫政親に譲られた。また、幕府と交渉する立場を取り京に住み続けたという。

文明年間(1469年-1486年)に高尾城の戦いを見ずに京で死去したという。『永享以来御番帳』や『親元日記』では文明13年(1481年)に存命とされているので没年はそれ以降とされる。

脚注

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  1. ^ 『系図纂要』では富樫満春の四男とされる。

出典

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  • 『系図纂要』