富樫持春
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時代 | 室町時代前期 - 中期 |
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生誕 | 応永20年(1413年) |
死没 | 永享5年閏7月10日(1433年8月24日) |
官位 | 加賀介(富樫介) |
幕府 | 室町幕府 加賀守護 |
主君 | 足利義持→義量→義教 |
氏族 | 富樫氏 |
父母 | 父:富樫満春 |
兄弟 | 持春、教家、泰高 |
富樫 持春(とがし もちはる)は、室町時代前期から中期にかけての武将・守護大名。富樫氏15代当主[1]。加賀国守護。
富樫満春の長男として誕生。4代将軍・足利義持の偏諱を受けて持春と名乗った。応永34年(1427年)に父・満春が没すると家督を継承。義持や足利義教からは将軍の相伴衆に任じられるなど信任が厚く、義持は京都にある持春の館に何度か出向いている。また持春は永享2年(1430年)正月まで幕府に出仕することがなかったという。同年6月、加賀守護となる。同年、南禅寺領同国宮保違乱の停止を執行した。永享5年(1433年)、死去。享年21。
持春には嗣子がいなかったため、家督と加賀の守護職は義教の近臣となっていた弟・教家が継いだ。
出典
[編集]- 『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社)