富原薫 (実業家)
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富原 薫(とみはら かおる、1916年3月20日 - 2015年5月15日)は、日本の経営者。北海道放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身[1]。
経歴
[編集]1939年に早稲田大学専門部法科を中退し、同年に満蒙学校を卒業。1941年に小樽新聞社に入社後[2]、全道の新聞社統合により1942年11月に北海道新聞社に移籍し、政経記者として活躍[1]。1945年には内閣記者会詰めとして憲法審議を担当。1951年12月に北海道放送に転じ、1956年の日ソ和平交渉の際には民間放送代表特派員の一人として鳩山一郎首相の随行団に参加した[2]。1967年に取締役、1970年に常務、1978年に専務、1979年に副社長を経て、1984年に社長に就任[1]。1995年6月に会長に就任し、1996年6月に相談役を経て、1999年6月から特別顧問を務めた[1]。
著書に「日本国憲法制定誌」、「憲法制定時の社会的背景」がある[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信所 2003, と56頁.
- ^ a b “富原薫|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “平成15年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 7 (2003年11月3日). 2004年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月27日閲覧。
- ^ 富原薫氏が死去 元北海道放送社長2015年 5月19日 日本経済新聞
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第42版 下』人事興信所、2003年。
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