グランド・ホテル形式
グランド・ホテル形式(グランド・ホテルけいしき)は、映画や小説、演劇などで、ホテルのようなあるひとつの場所を舞台に、特定の主人公を設けず、そこに集う複数の登場人物の人間ドラマを並行して描く物語の手法である[1][2][3][4]。グランドホテル形式[3]、グランド・ホテル方式[5]、グランドホテル方式[6]とも表記される。英語ではグランド・ホテル・テーマ(Grand Hotel theme)と呼ばれる[7]。1932年のアメリカ映画『グランド・ホテル』(1932年)で用いられたためこの名が付いているが、その原型は小説『ゴリオ爺さん』などに見いだされる[8]。この手法を用いた主な映画には『大空港』(1970年)や『タワーリング・インフェルノ』(1974年)、『THE 有頂天ホテル』(2006年)、主な小説には『幸福号出帆』(1955年)などがある[1][8]。
定義・構造
[編集]グランド・ホテル形式は、物語が展開される空間があるひとつの場所に限定されている[1][2]。それはホテルのような大きな場所となる場合が基本だが[8]、とくに船や列車などの乗り物を舞台とする場合は「動くグランド・ホテル形式」と呼ぶこともある[9]。グランド・ホテル形式の物語は、そのような特定の場所に集まったり、出入りしたりする人物が織りなす人間模様を描いている[2][4][10]。これらの人物はお互いに無関係であることが多い[11]。登場人物が多数となるため[10]、映画ではたいていの場合がオールスター・キャストになるが、和田誠はそれが「グランド・ホテル形式のひとつの魅力」になると述べている[9]。
グランド・ホテル形式のそれぞれの人物の物語は、群像劇の手法で描かれる[4][10]。群像劇は絶対的な主人公となる人物を設けず、複数の主人公格の登場人物の物語を織り交ぜて描く手法のことであり[1][12]、このようなキャスティングの仕方はアンサンブル・キャストと呼ばれる[13][14]。登場人物の多いグランド・ホテル形式も、特定の主人公を設定して物語を展開する形式をとらずに、複数の人物を個別に描き、独立したシークエンスを多数配置して、それぞれの物語を並行的に描いている[1][3]。
演劇評論家の菅井幸雄は、グランド・ホテル形式を演劇において人生を表現する手法として説明し、登場人物と劇的状況との関係付けという点で「駅馬車形式」との類似性を指摘している。菅井の説明によると、駅馬車方式は、ジョン・フォード監督の西部劇『駅馬車』(1939年)に因んで、駅馬車のようなひとつの箱のような空間に「いろいろな人間を入れこみ、その人間たちがある時間からある時間の経過のなかで、その人生の変化を表現する」という手法であり、グランド・ホテル形式は駅馬車形式に対して、ただひとつの場所の中にいろいろな人間を出入りさせ、そこにおける人生を表現する手法であるという[15]。
英語では「グランド・ホテル・テーマ(Grand Hotel theme)」という言葉が存在し、グランド・ホテル形式と同じ意味の用語として説明されている[7][16]。作家のゴリアルダ・サピエンツァは著書『The Art of Joy』の中で、グランド・ホテル・テーマを「空港、客船、ホテルなどの大きくて賑やかな空間で、お互いの存在を知らないかもしれないが、人生の一部が奇妙な方法で重なり合っている、さまざまな人物の活動を描いたドラマ映画の手法」であると説明している[7]。映画研究者のデヴィッド・ボードウェルは、このような形式の基本的なプロットは「不運なロマンス、登場人物間の対比、交じり合う因果関係、劇的な危機とありふれた日常の対比から織りなされている」と指摘している[17]。
由来
[編集]グランド・ホテル形式の名前の由来となったのは、1932年にエドマンド・グールディングが監督したアメリカ映画『グランド・ホテル』である[1][8][2]。この作品ではベルリンのとあるホテルを舞台に、そこに集う宿泊客たちの1日の人生の縮図を描いている。落ち目のバレリーナや男爵を自称する宝石泥棒、余命いくばくもない中年の会社員、破産寸前の会社社長、野心家の貧しい女性速記者、ホテル住まいの退役軍人などの人物を交差させて物語を構築しており、グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード、ウォーレス・ビアリー、ライオネル・バリモアの5人のスターが共演した[1][18][19]。この作品がアカデミー賞作品賞を受賞して大きな話題を呼んだことで、グランド・ホテル形式という用語が普及し、その後の多くの映画や小説で用いられた[1][20]。
鹿島茂によると、グランド・ホテル形式の原型は、1835年のオノレ・ド・バルザックの小説『ゴリオ爺さん』で下宿屋ヴォケール館を舞台に展開される物語に見いだされるという[8]。また、ミステリ評論家の霜月蒼によると、1928年のアガサ・クリスティの小説『青列車の秘密』もさまざまな人物が列車に乗り合わせて物語が展開されることから、『グランド・ホテル』に先駆けてグランド・ホテル形式を使用した作品であるという[21]。
作品一覧
[編集]映画
[編集]映画以外の作品
[編集]年 |
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ジャンル | 国 | 著者・演出者 | 物語の舞台 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
1835年 |
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小説 | フランス | オノレ・ド・バルザック | 下宿屋ヴォケール館 | [8] |
1928年 |
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小説 | イギリス | アガサ・クリスティ | 特急列車「青列車」 | [21] |
1955年 | 幸福号出帆 | 小説 | 日本 | 三島由紀夫 | オペラ歌手・歌子の邸宅の食堂兼居間 | [8] |
1965年 | 西成山王ホテル | 小説 | 日本 | 黒岩重吾 | 西成山王ホテル | [38] |
1973-2005年 | 御宿かわせみ | 小説 | 日本 | 平岩弓枝 | 旅籠・かわせみ | [39] |
1984年 | HOTEL(第1話「オープニングストーリー」) | 漫画 | 日本 | 石ノ森章太郎作 | ホテル・プラトン | [40] |
2003年 | 夏のグランドホテル | 小説 | 日本 | アンソロジー | 海辺のホテル | [41] |
2005年 | ホテル ステラマリス | 舞台 | 日本 | 正塚晴彦演出 | ホテル・ステラマリス | [42] |
2006年 | 泥棒役者 | 舞台 | 日本 | 西田征史作・演出 | 豪邸 | [37] |
2012年 | 本日は大安なり | 小説 | 日本 | 辻村深月 | 結婚式場 | [6] |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『現代映画用語事典』キネマ旬報社、2012年5月、32,42-43頁。ISBN 978-4873763675。
- ^ a b c d 濱口幸一「シナリオ-グランド・ホテル形式」『世界映画大事典』日本図書センター、2008年6月、392頁。ISBN 978-4284200844。
- ^ a b c 岡村征夫『映像編集入門 動画を自在に操るコツ』オーム社、2010年9月、183頁。ISBN 978-4274068201。
- ^ a b c 野崎歓「解説」『歴史の証人 ホテル・リッツ 生と死、そして裏切り』東京創元社、2021年6月、222頁。ISBN 978-4488070847 。
- ^ 新藤兼人『シナリオ人生』岩波書店〈岩波新書〉、2004年7月、59頁。ISBN 978-4004309024。
- ^ a b 西荻弓絵「解説 ドラマになるまで何があったか?」『本日は大安なり』角川書店〈角川文庫〉、2014年1月、259頁。ISBN 978-4041011829 。
- ^ a b c Sapienza, Goliarda (2013). The Art of Joy. Penguin. p. 789. ISBN 978-0241956991
- ^ a b c d e f g 九内悠水子「三島由紀夫「幸福号出帆」論:エンターティメント小説にみる手法」『近代文学試論』第40号、広島大学近代文学研究会、2002年12月、100頁、doi:10.15027/15883。
- ^ a b c 和田誠『愛蔵版 お楽しみはこれからだ』国書刊行会、2022年1月、188頁。ISBN 978-4336073006。
- ^ a b c 富田昭次『ホテル博物誌』青弓社、2012年4月、58頁。ISBN 978-4787233370 。
- ^ a b 和田誠『愛蔵版 お楽しみはこれからだ PART3』国書刊行会、2022年3月、46頁。ISBN 978-4336073020。
- ^ 榎本秋『電子書籍で人気小説を書こう!! 電子ノベルの創作に必要なすべてのこと』秀和システム、2010年11月、220頁。ISBN 978-4798027883。
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- ^ 千葉伸夫「解題」『山中貞雄作品集 全一巻』実業之日本社、1998年10月、1048-1049頁。ISBN 978-4408102856。
- ^ フィリップ・ケンプ責任編集『世界シネマ大事典』三省堂、2017年1月、106頁。ISBN 978-4385162324。
- ^ 北上次郎 (2011年3月4日). “本日は大安なり 辻村深月著 男女4組のドラマ 巧みに描く”. 日本経済新聞. 2022年5月9日閲覧。
- ^ a b 霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略 決定版』早川書房、2018年4月、26頁。ISBN 978-4151301063 。
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- ^ 淀川長治『ぼくにしか書けない独断流スター論 PART2』近代映画社、1990年、76頁。
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- ^ a b Elhefnawy, Nader (2021). The James Bond We Forget: Notes on a Franchise. Nader Elhefnawy. p. 192. ISBN 979-8484834921
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- ^ 『國文學 解釈と敎材の硏究 第11-14号』學燈社、2002年、39頁。
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- ^ 井上雅彦「解説」『棘の闇』廣済堂出版〈廣済堂モノノケ文庫〉、2014年7月、158-159頁。ISBN 978-4331615935 。
- ^ 鶴岡英理子『宝塚ゼミ05年前期』青弓社、2005年9月、61頁。ISBN 978-4787272027。