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宮津航一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みやつ こういち

宮津 航一
生誕 2003年11月5日
国籍 日本の旗 日本
出身校 熊本マリスト学園高等学校
団体

ふるさと元気子ども食堂 代表

一般社団法人子ども大学くまもと 理事長
宗教 キリスト教カトリック
家族 養父 宮津 美光
養母 宮津 みどり
兄5人
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宮津 航一(みやつ こういち、2003年11月5日 - )は、日本の大学生、子ども食堂を運営する「ふるさと元気子ども食堂」の代表[1]で、一般社団法人子ども大学くまもと理事長も務める。「こうのとりのゆりかご」に預けられたことで知られる。

こうのとりのゆりかご

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2007年5月10日熊本市慈恵病院に設けられた「こうのとりのゆりかご」の運用初日の午後に、最初に預けられた。当初想定していた乳児ではなく、3歳での預け入れであった。[2][3]

身元のわからない棄児として扱われ、当時の熊本市長であった幸山政史が「航一」と命名して一人戸籍が作成された[4]

その後

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航一は、慈恵病院から児童相談所へ送られ、数ヶ月後に熊本市で飲食店を営み、5人の実子がいた里親の宮津美光・みどり夫妻に引き取られ、宮津家で養育されることとなった[3][4]

熊本市立託麻東小学校へ入学。航一が小学校低学年であったころ、親戚が名乗り出たことから、本来の名や、実母が生後5か月の時に交通事故死していたことなどが判明した[3]

熊本市立二岡中学校では生徒会長を務め[5]、高校は熊本マリスト学園高等学校[6]。中学校・高校では陸上部の主将を務める[5]。自己記録は10秒96(公認記録)。高校2年のときに正式に宮津家と普通養子縁組した[3]。また、2021年からふるさと元気子ども食堂の代表として活動を行う[3][6]

2022年、高校を卒業して熊本県立大学に進学した[4]。これを機に、「自分の発言に責任を持てる年齢になったので、自分の言葉で伝えたい」として、預けられた子として初めて実名を明かして「こうのとりのゆりかご」について語るようになった[3]熊本朝日放送は、宮津に密着したドキュメンタリー『告白、そして僕は~ゆりかごに預けられて~』を制作し、5月22日に放映した[7]

大学入学後も活動は多岐にわたり、2023年、慈恵病院元看護部長の田尻由貴子氏とともに「子ども大学くまもと」を立ち上げ、理事長に就任。また、当事者として全国各地で講演活動を行い発信を続けている。

主な活動

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・ふるさと元気子ども食堂 代表

一般社団法人子ども大学くまもと 理事長

一般社団法人熊本県こども食堂ネットワーク (広報部会長)

・一般社団法人ふるさと元気村 (事務局長)

熊本県ファミリーホーム協議会 (事務局)

熊本県立大学 学生団体PUKRUN(陸上同好会) 部長

脚注

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  1. ^ ふるさと元気子ども食堂 (熊本県熊本市) (@hurusatogenki.cs) - Instagram
  2. ^ “赤ちゃんポストに想定外の3歳児 父親と来たと話す 運用初日/熊本・慈恵病院”. 読売新聞・東京夕刊: p. 1. (2007年5月15日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b c d e f 伊藤崇 (2022年3月27日). “[あれから]Vol.22 18歳になった〈ぼく〉(連載)その2”. 読売新聞・東京朝刊: p. 34  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  4. ^ a b c “(1)159人の一人の僕  大切なのは「その後」の人生 <ゆりかご15年>連載 第1部”. 熊本日日新聞. (2022年3月26日). https://kumanichi.com/articles/600644 2022年6月17日閲覧。 
  5. ^ a b 成人年齢が20歳から18歳へと… コラム 滴一滴”. 山陽新聞社 (2022年4月6日). 2022年7月1日閲覧。
  6. ^ a b 熊本日日新聞 (2021年6月22日). “高校生切り盛り、子ども食堂開店 熊本市のカトリック帯山協会”. 独立行政法人福祉医療機構. 2022年6月17日閲覧。
  7. ^ “「ゆりかご」に預けられた当事者に密着 あすKABで放送 /熊本県”. 朝日新聞・朝刊・熊本: p. 25. (2022年5月21日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

外部リンク

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