宮永スエキク
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みやなが スエキク 宮永 スエキク | |
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生誕 |
1884年4月7日 日本 鹿児島県曽於郡大隅町 |
死没 |
1998年6月20日(114歳没) 日本 鹿児島県曽於郡大隅町 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 存命人物のうち日本最高齢(1997年5月4日 - 1998年6月20日) |
配偶者 | 愛右衛門(婚姻期間 1908年 - 1954年) |
子供 | 男4人、女7人 |
宮永 スエキク(みやなが スエキク、1884年〈明治17年〉4月7日 - 1998年〈平成10年〉6月20日)は、長寿日本一だった鹿児島県曽於郡大隅町(現・曽於市)の女性。
生涯
[編集]1884年(明治17年)4月7日、鹿児島県曽於郡大隅町の農家に生まれる。1908年(明治41年)に24歳で愛右衛門と結婚し、四男七女をもうけた[1]。趣味は三味線、太鼓、歌、踊りだった[2]。
1954年(昭和29年)、70歳のときに愛右衛門と死別[1][2]。冗談好きの明るい性格で、おはら節など歌や踊りが得意。107歳ごろまで三味線を弾いていた。そばが好きで、100歳を超えた後も自分でそばを打っていた[3]。109歳までは一人で歩いていた[1]。風邪をこじらせて寝たきりになり、1993年(平成5年)からは特別養護老人ホームで生活していた[2]。
1997年(平成9年)5月4日、日本最高齢だった哥川スエが113歳で死去し、当時113歳の宮永が日本最高齢となる[4]。この年の7月に脳梗塞で倒れて右半身が麻痺し、以来は殆ど寝たきりになった[5]。
1998年(平成10年)4月7日に114歳の誕生日を迎え、祝いに訪れた大隅町長の永野静夫に花束を手渡されると、微かに頬を緩めた。同月22日に体調を崩して大隅町の病院に入院[2][5]。この4月の時点で、子供のうち存命なのは77歳の五女と75歳の三男のみだった[5]。
同年6月20日午後1時12分、老衰のため家族に見守られて息を引き取った。114歳没。死去の時点で孫が12人、曾孫が20人いた[1][2]。
宮永の死去により、誕生日が3週間違う滝井アサが日本最高齢となった[2]。