宮成隆
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | ミヤナリ タカシ | |||||
ラテン文字 | MIYANARI Takashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1957年1月28日 | |||||
出身地 | 山口県 | |||||
没年月日 | 2013年6月9日(56歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW/MF | |||||
ユース | ||||||
1972-1974 | 山口県立山口高等学校 | |||||
早稲田大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
山口教員 | ||||||
監督歴 | ||||||
2006-2009 | レノファ山口FC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
宮成 隆(みやなり たかし、1957年1月28日 - 2013年6月9日)は、山口県出身のサッカー選手、指導者[1]。
来歴
[編集]山口県立山口高等学校、早稲田大学卒業[1]。早稲田大学ア式蹴球部に所属し、第27回1978年インカレ優勝などに貢献し、全日本大学選抜や日本B代表などに選出されている[1]。
大学を卒業後、山口に帰郷し高校教員となり、南陽工業高校、小野田高校、そして母校である山口高校で教鞭をとりながら[2]各高校のサッカー部監督を務めた[1]。一方で中国サッカーリーグ所属の山口サッカー教員団(現レノファ山口FC)に入団[1]。1980年に中国リーグ得点王・1981年にアシスト王・1982年に得点王と3つタイトルを獲得した[1]。現役引退後は、山口県サッカー協会の要職を歴任し、常任理事や技術委員長として活躍した[3]。
2006年、将来の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)入りを目指して山口教員をクラブチーム化したレノファ山口FCの発足に尽力し、その初代監督に就任した[1]。2008年中国リーグでチームを初優勝に導き同年の地決において初のグループリーグ突破するなどの成績を残したが[3]、JFL昇格はならなかった。
2010年、監督を退任しゼネラルマネージャー (GM) ・総監督に就任[1]。この年、「(サッカークラブの運営は)片手間ではできない」と教員を辞め、レノファの運営に専念する[2]。維新百年記念公園近くの自宅敷地内にあったアパートの2階をレノファのクラブ事務所に改装し、遠征時にはマイクロバスのハンドルを握るなど、レノファの強化に全力を尽くした[2]が、GM在任中のJFL昇格は果たせなかった。また2011年に地元で開催された第66回国民体育大会に向けて強化し[4]、大会では山口県成年男子監督についたが[5]、結果を残せなかった。
2012年4月に悪性腫瘍の存在が判明[6]。闘病生活に入り、シーズン終了後にこの年監督を務めた河村孝にGM職を譲り、退任[1][3]。闘病に専念するが、2013年6月9日に肺癌により死去[3]。56歳没。レノファはこの年第49回全国社会人サッカー選手権大会を制し、悲願のJFL昇格を決めた。
個人成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
山口 | 中国 | - | |||||||||
通算 | 日本 | 中国 | |||||||||
総通算 |
- 中国サッカーリーグ得点王 : 1980年、1982年
- 中国サッカーリーグアシスト王 ; 1981年
監督成績
[編集]年度 | チーム | 所属 | 試合数 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 順位 | 天皇杯 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | レノファ山口 | 中国 | 14 | 25 | 7(1PK勝) | - | 4(2PK負) | 4位 | 県予選敗退 |
2007 | 17 | 25 | 7 | 4 | 6 | 3位 | 1回戦敗退 | ||
2008 | 16 | 38 | 11 | 5 | 0 | 優勝 | 県予選敗退 | ||
2009 | 18 | 40 | 13 | 1 | 4 | 2位 | 2回戦敗退 |
- 中国サッカーリーグ優勝 : 2008年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『訃報 宮成隆氏(レノファ山口FC前GM・総監督)』(プレスリリース)レノファ山口FC、2013年6月10日 。2015年12月31日閲覧。
- ^ a b c メモリアルブック 2015, p. 128.
- ^ a b c d “訃報:宮成隆さん 56歳=レノファ山口FC前GM・総監督/山口”. 毎日新聞(山口版) (2013年6月11日). 2013年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月31日閲覧。
- ^ “山口きらら博記念公園だより” (PDF). 山口きらら博記念公園 (2010年6月). 2013年12月6日閲覧。
- ^ “選手団名簿” (PDF). 山口県体育協会. 2013年12月6日閲覧。
- ^ メモリアルブック 2015, p. 129.
参考資料
[編集]- レノファ山口FC J3優勝&J2昇格記念 公式メモリアルブック. レノファ山口FC. (2015-12-28). p. 127-130. ISBN 978-4-908199-05-9