宮崎次彦
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宮崎 次彦 | |
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生誕 |
1891年6月9日 日本 鳥取県 |
死没 | 1976年2月??日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
宮崎 次彦(みやざき つぎひこ、1891年(明治24年)6月9日[1] - 1976年(昭和51年)2月[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に鳥取県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1938年(昭和13年)3月に騎兵第12連隊長に就任し[2]、1940年(昭和15年)3月9日に陸軍騎兵大佐に進級して[2]、8月1日に軍馬補充部十勝支部長に転じた[2]。1943年(昭和18年)3月には騎兵第3連隊長(支那派遣軍・第11軍・第3師団)に就任し[1][2]、中国戦線に出動[1]。応山に駐屯し[1]、湘桂作戦などに出撃した[1]。
1945年(昭和20年)3月9日に旭川連隊区司令官に就任したが[3]、3月31日に旭川地区司令部部員となり[4]、6月10日に陸軍少将に進級した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。