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宮崎寒雉 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代 宮崎寒雉 (みやざきかんち、寛永8(1631)年 - 正徳2(1712)年[1][2])は、江戸時代の釜師

来歴

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加賀藩鳳至郡中居村(現・石川県穴水町中居)にて、宮崎彦九郎吉綱の次男として誕生[1]。通称彦九郎、名は義一[3]

1642年ごろ京都の釜師に入門し後に金沢に帰郷。藩主前田綱紀が京都より裏千家四代千仙叟宗室を招いた際、仙叟宗室の指導を受け[2]、藩の御用釜師として「焼飯釜」等の茶の湯釜を制作する一方、数多くの梵鐘も鋳造した[1]。晩年は剃髪して一艸庵寒雉と称した[2]

以後、歴代は寒雉を称し、2021年に十五代目が襲名されている[4]

主な作品

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  • 焼飯釜 - 石川県指定文化財[3]
  • 葫蘆様釜 - 石川県指定文化財[3]
  • 常徳寺梵鐘 - 金沢市指定文化財[5]

出典

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  1. ^ a b c 『愛蔵版 ふるさと人物伝』北國新聞社、2010年3月30日、301頁。ISBN 978-4-8330-1762-6 
  2. ^ a b c 作家解説|所蔵品のご案内|石川県立美術館”. www.ishibi.pref.ishikawa.jp. 2024年4月7日閲覧。
  3. ^ a b c 石川県 (2010年11月25日). “焼飯釜・葫蘆様釜”. 石川県. 2024年4月7日閲覧。
  4. ^ 【釜師】宮﨑 匠(十五代 寒雉) | 美術工芸 千華” (2014年9月23日). 2024年4月11日閲覧。
  5. ^ 常徳寺梵鐘|金沢市公式ホームページ いいね金沢”. www4.city.kanazawa.lg.jp. 金沢市. 2024年4月11日閲覧。