宮島城
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宮島城 (静岡県) | |
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岡部町新舟付近から見た宮島城(中央の山) | |
別名 | 宮島の城山 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 朝比奈氏? |
築城年 | 不明(南北朝時代?) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 朝比奈氏? |
廃城年 | 不明(15世紀後半?) |
遺構 | 曲輪、一騎駆け |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度58分01.0秒 東経138度14分32.9秒 / 北緯34.966944度 東経138.242472度座標: 北緯34度58分01.0秒 東経138度14分32.9秒 / 北緯34.966944度 東経138.242472度 |
地図 |
宮島城(みやじまじょう)、または宮島の城山(みやじまのしろやま)は、静岡県藤枝市岡部町宮島にあった中世の日本の城(山城)。
概要
[編集]駿河・朝比奈氏の詰城とされる朝比奈城の北西で、朝比奈川を挟んだ対岸の標高337メートルの「城山」山頂にある[1]。
山頂の「千畳敷」と呼ばれる一辺90メートル以上の三角形の平坦地を本曲輪とし、周囲の尾根筋にみられる平坦地や段状地も曲輪(腰曲輪)としていたとされるが[1]、現状では土塁や竪堀など、積極的に城郭遺構として断定できるものは見られず、尾根筋の両サイドを細く削った「一騎駆け」と呼ばれる南北朝時代に多い遺構が一か所だけ確認されるという[2]。
当山が「城山」という以外に文献史料に記録がなく、南北朝以降に朝比奈氏が築城し、同氏が掛川に移ったのち[注釈 1]に廃城になったとされるが[1][3]、根拠が不明確との指摘がある[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 平井聖ほか編修 1979 「宮島の城山」『日本城郭大系第9巻 静岡・愛知・岐阜』新人物往来社 pp.124
- 静岡県教育委員会文化課編 1981 「宮島の城山」『静岡県の中世城館跡(静岡県文化財調査報告書 第23集)』
- 水野茂 2012 「宮島の城山」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.196