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宮島城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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宮島城
静岡県
岡部町新舟付近から見た宮島城(中央の山)
岡部町新舟付近から見た宮島城(中央の山)
別名 宮島の城山
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 朝比奈氏?
築城年 不明(南北朝時代?)
主な改修者 不明
主な城主 朝比奈氏?
廃城年 不明(15世紀後半?)
遺構 曲輪、一騎駆け
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度58分01.0秒 東経138度14分32.9秒 / 北緯34.966944度 東経138.242472度 / 34.966944; 138.242472座標: 北緯34度58分01.0秒 東経138度14分32.9秒 / 北緯34.966944度 東経138.242472度 / 34.966944; 138.242472
地図
宮島城の位置(静岡県内)
宮島城
宮島城
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宮島城(みやじまじょう)、または宮島の城山(みやじまのしろやま)は、静岡県藤枝市岡部町宮島にあった中世日本の城山城)。

概要

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駿河朝比奈氏の詰城とされる朝比奈城の北西で、朝比奈川を挟んだ対岸の標高337メートルの「城山」山頂にある[1]

山頂の「千畳敷」と呼ばれる一辺90メートル以上の三角形の平坦地を本曲輪とし、周囲の尾根筋にみられる平坦地や段状地も曲輪(腰曲輪)としていたとされるが[1]、現状では土塁竪堀など、積極的に城郭遺構として断定できるものは見られず、尾根筋の両サイドを細く削った「一騎駆け」と呼ばれる南北朝時代に多い遺構が一か所だけ確認されるという[2]

当山が「城山」という以外に文献史料に記録がなく、南北朝以降に朝比奈氏が築城し、同氏が掛川に移ったのち[注釈 1]に廃城になったとされるが[1][3]、根拠が不明確との指摘がある[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 朝比奈泰煕掛川城を築城したころとすれば、文明年間(1469年 - 1487年)以降か。

出典

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  1. ^ a b c 平井ほか 1979 pp.194
  2. ^ a b 水野 2012 pp.196
  3. ^ 静岡県教育委員会文化課編 1981

参考文献

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  • 平井聖ほか編修 1979 「宮島の城山」『日本城郭大系第9巻 静岡・愛知・岐阜』新人物往来社 pp.124
  • 静岡県教育委員会文化課編 1981 「宮島の城山」『静岡県の中世城館跡(静岡県文化財調査報告書 第23集)』
  • 水野茂 2012 「宮島の城山」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.196

関連項目

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