コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

朝比奈城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
朝比奈城
静岡県
山麓から見た朝比奈城
山麓から見た朝比奈城
別名 殿山城
城郭構造 山城
築城主 朝比奈氏
築城年 不明
主な城主 朝比奈信置など?
廃城年 永禄年間?
遺構 曲輪土塁
指定文化財 藤枝市指定史跡
位置 北緯34度57分12.4秒 東経138度15分15.1秒 / 北緯34.953444度 東経138.254194度 / 34.953444; 138.254194座標: 北緯34度57分12.4秒 東経138度15分15.1秒 / 北緯34.953444度 東経138.254194度 / 34.953444; 138.254194
地図
朝比奈城の位置(静岡県内)
朝比奈城
朝比奈城
テンプレートを表示

朝比奈城(あさひなじょう)は、静岡県藤枝市岡部町殿地区にあった戦国時代日本の城山城)。この地域の豪族朝比奈氏の居城。藤枝市指定史跡[1]殿山城とも。

概要

[編集]

町内を流れる朝比奈川とその支流・野田沢川に挟まれた山の上にあり、駿河遠江の2派に別れた朝比奈氏のうち、朝比奈元長(親徳)信置らを輩出した駿河朝比奈氏の詰城とされる[2]

朝比奈氏は岡部氏にならぶ戦国武将であり、現地に設置された解説板では、「止駄郡殿村にあり、今川家の功臣朝比奈某の築く所にして、永禄年中まで朝比奈家代々の居城なり(『戦国雑誌[注釈 1]』)」という記事を紹介していて、永禄1558年1570年)年代まで使われたと考察している[3]。天守閣や復元建物などはないが、山頂から分かれた2筋の稜線上にそれぞれ異なる山城遺構が造られており、曲輪土塁堀切が残っている[4]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 現地解説板の表記だが、旗本阿部正信が1843年(天保14年)に著した地誌『駿国雑志』の誤記である。

出典

[編集]
  1. ^ 「市指定文化財一覧表」藤枝市公式HP
  2. ^ 藤枝市 2013 pp.47
  3. ^ 現地案内板
  4. ^ 水野 2012 pp.192

参考文献

[編集]
  • 阿部正信 1843 『駿国雑志』(巻19下)吉見書店蔵版(1912年刊) pp.46
  • 水野茂 2012 「朝比奈城」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-(中部・駿河国版)』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.192-193
  • 藤枝市史編さん委員会編 2013 「岡部氏と朝比奈氏」『図説 藤枝市史』 藤枝市 pp.46-47

関連項目

[編集]