宮城新昌
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宮城新昌(みやぎ しんしょう、1884年〈明治17年〉5月14日 - 1967年〈昭和42年〉8月15日)は沖縄県出身の水産事業家。日米でカキの養殖法の開発と普及に貢献し、「垂下式養殖」を考案する。「日本のカキ王[1]」、「世界のカキ王[2]」、「カキ養殖の父[2]」と呼ばれる。
略歴
[編集]1884年5月14日、沖縄県国頭郡大宜味村根路銘で生まれる[1][2][3]。1905年、国頭農学校を卒業後[3]、1906年に渡米しカキの養殖に携わる[2][4]。1911年、カナダのバンクーバーで魚類の卸売とカキの養殖を営む「ローヤル漁業会社(Royal Fish Company)」を月本二朗、前川真一郎、戸田彦太郎、稲福善太郎と共に創立する[1][2][4]。1913年、予備調査のために日本に帰国し、神奈川県の水産講習所金沢養蠣場で伊谷以知二郎に師事する[5]。1924年、「垂下式養殖」を考案し[6]、1932年に「牡蛎育養器」として特許を取得する[7]。
1979年、石巻市荻浜漁港に顕彰碑が建てられ、2010年5月21日に岸朝子のメッセージプレートが設置される[8][9]。2011年3月11日の東日本大震災による津波で壊れ、2013年10月13日に荻浜支所跡地に再建される[2][10][11]。また現在、根路銘の実家は「YUMBARU HOTELS - 根路銘01号室」の名で琉球古民家一棟貸しの宿として提供されており、宿泊可能である。
関連人物
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 「みちのく伝統再発見 第2部 食 カキ 宮城県 潮の香り身ふっくら」『読売新聞』2014年3月15日、31面。
- ^ a b c d e f 「宮城新昌氏の顕彰碑、石巻で再建 カキ養殖の父」『琉球新報』2013年10月14日。2020年9月28日閲覧。
- ^ a b 山本 2015, p. 199.
- ^ a b 山本 2015, p. 201.
- ^ 山本 2015, p. 202.
- ^ 山本 2015, p. 203.
- ^ 山本 2015, p. 204.
- ^ 「世界のカキ王の業績 顕彰碑の横に案内板 石巻で除幕式」『朝日新聞』2010年5月22日、33面。
- ^ 「壊れたカキ王の碑 再建へ 養殖法考案の宮城新昌氏 故郷の沖縄が協力」『読売新聞』2013年2月16日、31面。
- ^ 「世界のカキ王 顕彰碑を再建 石巻・荻浜」『朝日新聞』2013年10月14日、23面。
- ^ 「カキ養殖生みの親 宮城新昌の碑再建」『読売新聞』2013年10月17日、32面。
参考文献
[編集]- 山本ちひろ「水産技術者宮城新昌と故郷沖縄の「振興」「復興」」『沖縄文化研究』第41巻、法政大学沖縄文化研究所、2015年3月31日、195-240頁、NAID 120005575642。