宮原氏義
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宮原 氏義(みやはら うじよし、延宝7年(1679年) − 正徳5年10月25日(1715年11月20日))は、江戸時代中期の高家旗本。旗本・杉浦政令(すぎうら まさのり)の五男。生母は宮原義辰の娘。兄弟に恒隆、勝照、典治、祖恩荊峯、正奉ら。はじめは杉浦一之と呼ばれた[1]。母方の伯父(義辰の嫡男)である宮原義真の養子。通称は伝十郎、主膳。官位は従四位下・侍従・刑部大輔、長門守、和泉守。
元禄3年(1690年)12月12日、養父の死去により家督を相続する。元禄4年(1691年)6月11日、将軍徳川綱吉に御目見する。元禄14年(1701年)9月21日、高家職に就任し、従五位下・侍従・長門守に叙任する。後に従四位下に昇進する。また、和泉守、刑部大輔に改める。宝永6年(1709年)12月15日、御側高家に転任する。正徳5年(1715年)10月25日死去、37歳。