室原重福
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室原 重福(むろはら じゅうふく、1855年1月3日(安政元年11月15日[1][2])- 1934年(昭和9年)2月7日[1][3])は、明治期の日本の教員、翻訳家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国宇多郡中村[1](福島県[3]相馬郡中村町[4]を経て現相馬市)で生まれる。尺振八の塾(共立学舎)に入り英書を学び、同塾教師となる[1]。同人社に転じ英学教員に就任[1][2][3][4]。27歳で外務省翻訳局御用掛に転じ[2][3]、条約改正事務を担った[1]。1887年(明治20年)長崎県尋常中学校長に転出した[1][2][3][4]。
1890年(明治23年)9月、立憲自由党に入党し[1]、1897年(明治30年)河野広中の福島県下自由党の分党活動に反対し[1][2]、目黒重真県会議長らと県下自由党組織の維持に貢献した[1]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(福島県郡部、立憲政友会)で初当選し[2][5]、1903年(明治36年)3月の第8回総選挙でも再選され[5]、衆議院議員に連続2期在任した[3][4]。
その他、翻訳、著作業に従事した[3]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(福島県第5区、1890年7月、無所属)次点落選[6]
- 第2回衆議院議員総選挙(福島県第5区、1892年2月、自由党)落選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(福島県第5区、1898年3月、自由党)落選[7]
- 第7回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[5]
訳書
[編集]- ジョン・ダブリウ・バルジェッス『政治学 国家之部』博聞社、1884年。