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大神神社 (栃木市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
室の八島から転送)
大神神社

鳥居
所在地 栃木県栃木市惣社町477
位置 北緯36度24分21.30秒 東経139度46分55.76秒 / 北緯36.4059167度 東経139.7821556度 / 36.4059167; 139.7821556 (大神神社)座標: 北緯36度24分21.30秒 東経139度46分55.76秒 / 北緯36.4059167度 東経139.7821556度 / 36.4059167; 139.7821556 (大神神社)
主祭神 倭大物主櫛𤭖玉命
神体
社格 式内社(小)論社
下野国総社
県社
創建 (伝)崇神天皇48年
例祭 11月18日-26日
地図
大神神社の位置(栃木県内)
大神神社
大神神社
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一の鳥居

大神神社(おおみわじんじゃ)は、栃木県栃木市惣社町にある神社式内社(小)論社下野国総社旧社格県社。古くは「下野惣社大明神」「惣社六所大明神」「室八島惣社大明神」などの別称があった。

律令時代には神社の南約2kmに国府が置かれ、大神神社は国府の惣社となり、この地(惣社)の地名の由来にもなっている[1]

松尾芭蕉奥の細道』に登場する境内の「室の八嶋」が知られている。

祭神

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主祭神

配祀神

  • 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
  • 瓊々杵命 (ににぎのみこと) - 木花咲耶姫命の夫神
  • 大山祇命 (おおやまつみのみこと) - 木花咲耶姫命の父
  • 彦火々出見命 (ひこほほでみのみこと) - 木花咲耶姫命の子。火遠理命に同じ

歴史

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創建

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社伝では、崇神天皇の時代に豊城入彦命(崇神天皇皇子)が東国平定の折に戦勝と人心平安を祈願し、当時から広く名を知られた室の八嶋(むろのやしま、室の八島とも記す)に、崇神天皇が都とした大和国磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)に座した大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建とされている[3]

概史

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平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下野国都賀郡 大神社」の記載があるが、当社をそれにあてる説がありその論社とされている[4]

また、古代国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していたが、これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの下野国の総社にあたるとされる。当社の南方約2.8kmの地には下野国庁跡も発掘されている。

平将門の乱により被害を受けたが、藤原秀郷らの寄進により再建され、室町時代まで社殿は広く立派であったと伝える[3]。しかし戦国時代に、皆川広照の残兵が当社に篭り、北条氏直の軍勢が火を放ったために焼失し、荒廃した[3]。その後、徳川家光による社領30石と松の苗1万本の寄進などにより、1682年天和2年)に現在の形へと復興したという[3]

しかしながら、実際には明治時代より以前の史料で当社を明確に「大神(おおみわ)」または「大三輪」と呼んだものは発見されていない。「実際のところは、から遣わされた国司が大和国の大神神社(大三輪神社)を別の場所で祀っていて、これが下野惣社大明神に合祀され同化した」といった説[5]もあるなど、その歴史は必ずしも詳らかとは言い難い。

明治維新後、明治6年に近代社格制度において郷社に列し[3]、明治40年に神饌幣帛料共進神社に指定、明治44年に県社に昇格した。1924年大正13年)に社殿の大改修、1993年平成5年)に室の八嶋の大改修などが行われて現在に至っている。なお、古来より社家大宮司は國保家が代々世襲していた。

神階

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境内

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社殿

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境内林

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大神神社の境内林を中心とする地域は、栃木県の惣社緑地環境保全地域となっている[7]

室の八嶋

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室の八嶋
室の八嶋の前に建つ松尾芭蕉の句碑

室の八嶋(むろのやしま)は、古来の和歌などに歌枕として見られる地名。当社境内の池中の島をその跡と伝える(ただし後世の付会とする説もある[8])。奈良時代の昔から、歌枕としてにまでその名を知られ、『万葉集』や『古今和歌集』をはじめとする多くの和歌集などに登場する。

主な歌

歌枕としての意味

  • 木花咲耶姫命が一夜にして懐妊したためその貞操を証すべく、自ら火を放った室の中で三柱のを産んだ、とされる神話の舞台。また転じて、(かまど)の(八嶋は竈の古語であるとの説もある)。
  • 思川の低湿地であることから、水煙や清水の沸く土地。
  • これらが転じて、燃え上がるの炎に身を焼く煙。
  • 糸遊(いとあそび、いとゆう)。煙が更に転じたものとも考えられるが、「陽炎[要曖昧さ回避]」「蜘蛛が糸を引いて飛ぶ」など作者の真意は様々で、定かではない。

当地を訪れたとされる松尾芭蕉曾良は『奥の細道』に、室の八嶋の由緒などを曾良の言として記しているが、俳句は載せていない。しかし、後年曾良が著した『俳諧書留」に、芭蕉の句として「いと遊に結びつきたるけふりかな」が記されており、これが当社の境内に句碑として建立されている。 1869年明治2〉3月、江戸後期の俳人である杲雲閣春峰が建立し、江戸後期に活躍した書家の萩原秋巌による筆とされる[9]

現在見られる「室の八嶋」は、木立の中の掘割に、小さな祠を戴く8つの小がある、およそ800坪ほどの庭園状の場所であり、水煙や湧き水などは観られない。8つの祠には、筑波天満鹿嶋雷電浅間熊野二荒山香取の各名神が祀られている。

摂末社

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神宮
本社の相殿を祀る。

境内社は以下の15社。

  • 神宮
  • 護国神社
  • 福神神社
  • 大杉神社
  • 祖霊社
  • 左門神社
  • 右門神社

室の八嶋

  • 浅間神社
  • 二荒山神社
  • 筑波神社
  • 雷電神社
  • 香取神社
  • 鹿島神社
  • 熊野神社
  • 天満宮

祭事

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  • 元旦祭 (1月1日[10]
  • 初詣・新春祈願祭 (1月中)
  • 節分祭・追儺式 (2月3日
  • 祈年祭 (2月25日
  • 鎮花祭 (3月上旬)
  • 春季例大祭4月16日) - 流鏑馬を催行
  • 初申祭 (5月初申の日)
  • 大祓 (6月30日
  • 八島祭 (8月1日
  • 大杉祭・風祭 (8月中旬)
  • 七五三詣り (11月15日
  • 秋季例大祭(御鉾祭)11月18日-24日頃)

文化財

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栃木市指定無形民俗文化財

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  • 大神神社の神楽 - 昭和39年5月19日指定
  • 大神神社の鉾祭 - 昭和39年5月19日指定

史跡

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  • 栃木市指定史跡「下野惣社(室の八嶋)」 - 昭和43年2月16日指定

現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ 第2章 栃木市の維持向上すべき歴史的風致”. 栃木市. p. 177. 2024年11月11日閲覧。
  2. ^ 祭神は神社由緒書に従う。
  3. ^ a b c d e 神社由緒書。
  4. ^ 他の論社として太平山神社(栃木県栃木市平井町)がある。
  5. ^ 境内説明板。
  6. ^ 『栃木県の地名』大神神社項。
  7. ^ 12 惣社(そうじゃ)緑地環境保全地域”. 栃木県. 2024年11月11日閲覧。
  8. ^ 『大辞林』室の八島項(朝日新聞社コトバンクに該当記事)。
  9. ^ とちぎいにしえの回廊|文化財の歴史”. www.inishie.tochigi.jp. 2024年2月22日閲覧。
  10. ^ 祭事は大神神社(栃木県神社庁)参照。

参考文献

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  • 『大神神社概要』(神社由緒書)
  • 『日本歴史地名体系 栃木県の地名』(平凡社)栃木市 大神神社

関連項目

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外部リンク

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