宍戸元真
表示
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 天正6年(1578年) |
死没 | 正保5年1月5日(1648年1月29日) |
改名 | 宍戸元真→宍戸浄可(号) |
別名 | 通称:藤十郎→吉内 |
戒名 | 得定院殿深誉浄信 |
官位 | 従五位下、民部少輔 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
氏族 | 藤原北家道兼流八田氏族宍戸氏 |
父母 | 父:宍戸元秀、母:内藤興盛の娘 |
兄弟 |
元続、女(三沢為虎室)、内藤元盛、 粟屋孝春、元真、景好、元可、 古満姫(小早川秀秋室、後に興正寺准尊室) |
妻 | 富永元康の娘 |
子 | 男子、富永就姓、元忠 |
宍戸 元真(ししど もとざね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀。
生涯
[編集]天正6年(1578年)、毛利氏家臣である宍戸元秀の四男として生まれ[1]、毛利輝元に仕えて別家を興す[1]。
正保5年(1648年)1月5日に死去。[1]。享年71[1]。周防国吉敷郡山口の矢田村丸山に葬られた[1]。
系譜
[編集]- 父:宍戸元秀(1547-1597)
- 母:貴山妙遵(?-1616) - 内藤興盛の娘。元和2年10月16日(1616年11月24日)に死去[2]。法名は貴山妙遵[2]、または、妙見[3]。
- 正室:富永元康の娘(?-?)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 61.
- ^ a b 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 60.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 189.
- ^ 『閥閲録』巻32「宍戸権之助」家譜。
参考文献
[編集]- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『萩藩閥閲録』巻32「宍戸権之助」、巻129「宍戸七右衛門」