安養寺 (大田区)
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安養寺 | |
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所在地 | 東京都大田区西六郷2-33-10 |
位置 | 北緯35度32分58.7秒 東経139度42分18.3秒 / 北緯35.549639度 東経139.705083度座標: 北緯35度32分58.7秒 東経139度42分18.3秒 / 北緯35.549639度 東経139.705083度 |
山号 | 医王山[1] |
院号 | 世尊院[2] |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 金剛界五智如来 |
創建年 | 奈良時代? |
開山 | 行基? |
中興年 | 永禄年間(1558年~1570年) |
中興 | 栄伝 |
別称 | 古川薬師 |
札所等 | 玉川八十八ヶ所霊場69番札所、東海三十三観音霊場19番札所 |
文化財 | 木造薬師如来坐像(東京都重要文化財)、木造釈迦如来坐像(東京都重要文化財)、木造阿弥陀如来坐像(東京都重要文化財) |
法人番号 | 4010805000074 |
安養寺(あんようじ)は、東京都大田区にある真言宗智山派の寺院。
概要
[編集]奈良時代、行基によって開山されたといわれている。ただ現存の薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の3坐像が平安時代の作で東京都の重要文化財になっていることから、相当の古刹であることが推測される[3]。
その後、この地の地頭を務めた行方某が、他宗の寺院の存在を認めない狂信的な法華宗の信者で、池上本門寺の日現との法論でも、露骨な依怙贔屓により、無理やり「負け」とされ、廃寺に追い込まれたという[3]。
永禄年間(1558年~1570年)になり、栄伝によって再興された[3]。
明治末期から大正期にかけて、多摩川の河川改修工事があり、境内の多くが河川敷となってしまい、現在地まで縮小されている[3]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年
- 「古川村 安養寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ42荏原郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/32。
- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 古川薬師如来堂」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、440-442頁。NDLJP:1174130/226。