安陰西門氏
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安陰西門氏 | |
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氏族 | |
国 | 朝鮮 |
領地 | 咸陽郡 |
家祖 | 西門記 |
安陰西門氏(アヌムソムンし、朝鮮語: 안음서문씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫は慶尚南道咸陽郡である。2015年の調査では、1,934人である[1]。
起源
[編集]西門氏は、中国の梁に起源を持つ姓氏であり、春秋戦国時代に鄭で士大夫が住んでいた地名に起源を持つ。
始祖
[編集]安陰西門氏の始祖は、元朝の河南省出身の進士、西門記である。西門記は、1351年に魯国公主が恭愍王に降嫁される時に、媵臣(嫁にいく女の付き人)として高麗に入国、安陰君に封ぜられ、西門記の子孫が安陰を本貫にして安陰西門氏を創始した[2]。
本貫
[編集]安陰は現在の慶尚南道咸陽郡と居昌郡の一部である。新羅時代は南内県であり、757年に余善と改称し、居昌郡の管轄になり、940年に感陰に変り、1018年に陜州総管となった。 1390年感陰県に監務が派遣され、利安県を隷属させた。 1417年に、行政官庁が利安県に移転し、安陰県となった。 「世宗実録地理志」に感陰の姓として孔・黄・西門・徐が記録されている[3]。
1728年に安陰県を安義県に改称した。 1895年に安義郡となったが、1914年の安義郡が廃止され、安義面など4つの面は咸陽郡へ、馬利面など3つの面は、居昌郡にそれぞれ編入された。
人物
[編集]過去及第者
[編集]- 武科
- 西門浻:1610年生1636年別試武科丙科。居住地錦山郡。父は幼学西門建。
- 生員試
- 西門墠:1623年生1660年生員試3等。居住地錦山郡。父幼学西門煜。兄は西門塾。弟は西門坦・西門垓・西門堜。
集姓村
[編集]人口
[編集]- 2000年1,861人
- 2015年1,934人[1]
脚注
[編集]- ^ a b “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月20日閲覧。
- ^ 安陰西門氏 - 韓国学中央研究院
- ^ 세종실록 150권, 지리지 경상도 진주목 안음현
- ^ “서문씨(西門氏) 본관(本貫) 안음(安陰)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月27日閲覧。
参考文献
[編集]- “서문씨(西門氏) 본관(本貫) 안음(安陰)입니다.”. 한국족보출판사. オリジナルの2022年9月15日時点におけるアーカイブ。
- 안음서문씨 安陰西門氏
- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 21. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。