安野屋停留場
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(安野屋駅から転送)
安野屋停留場 | |
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停留場外観(2020年7月) | |
やすのや Yasunoya | |
左は富山大橋 | |
所在地 | 富山県富山市安野屋町2丁目 |
駅番号 | C20 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1916年(大正5年)11月22日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 富山軌道線(安野屋線) |
キロ程 | 0.4 km(丸の内起点) |
◄C19 諏訪川原 (0.1 km) | |
所属路線 | 富山軌道線(呉羽線) |
キロ程 | 0.0 km(安野屋起点) |
(1.0 km) トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町) C21► | |
* 1943年以前に安野屋町停留場から改称 |
安野屋停留場(やすのやていりゅうじょう)は、富山県富山市安野屋町二丁目にある、富山地方鉄道富山軌道線安野屋線・呉羽線の停留場である。駅番号はC20。
概要
[編集]富山県道44号富山高岡線上の併用軌道に設置されている。神通川の東岸に位置し、電車は富山大橋で神通川を渡りトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)方面へ向かう。
2006年(平成18年)11月より富山県道44号富山高岡線の神通川に架かる旧・富山大橋の老朽化による架け替えで4車線化、軌道の複線化が進められていたが、2012年(平成24年)3月24日に新しい富山大橋が開通した。それに伴い停留所を上屋付とし、約140 m丸の内寄りの安野屋交差点東詰へ移設し供用を開始した。移設前の停留場は大学前(現・富山大学前)寄りにポイントがあり、当停留場付近を含め丸の内方は複線、大学前方は単線となっていたが、同日、当停留所より大学前停留所直前まで複線化された(大学前停留所は単線駅)。
歴史
[編集]- 1916年(大正5年)11月22日:富山電気軌道の安野屋町停留場として開業[1]。
- 1920年(大正9年)7月1日:富山市に譲渡され、富山市営軌道の停留場となる[2]。
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)8月2日:富山大空襲の戦災より休止[5]。
- 1946年(昭和21年)5月15日:新富山駅前 - 西町間復旧に伴い営業再開[6]。
- 1952年(昭和27年)8月5日:安野屋線(丸の内 - 安野屋間)開業、呉羽線(旅篭町 - 護国神社前 - 安野屋間)廃止[7]。
- 1969年(昭和44年)7月2日:豪雨による富山大橋一部陥没により安野屋 - 新富山駅前間休止[8]。
- 1970年(昭和45年)6月25日:富山大橋復旧に伴い安野屋 - 新富山駅前間営業再開[8]。
- 2012年(平成24年)3月24日:停留所を約140 m丸の内寄りの安野屋交差点東詰へ移設し供用開始。
停留場構造
[編集]相対式ホーム2面2線の地上駅。駅舎にはスロープと上屋が設置されている。
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駅ナンバリング導入後の駅名標(2020年7月)
停留場周辺
[編集]隣の停留場
[編集]- 富山地方鉄道
- 富山軌道線(安野屋線)
- 諏訪川原停留場 (C19) - 安野屋停留場 (C20)
- 富山軌道線(呉羽線)
- 護国神社前停留場 - (1952年廃止) - 安野屋停留場 (C20) - トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場 (C21)
脚注
[編集]- ^ 今尾恵介(監)『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越―全線・全駅・全廃線』新潮社、2008年、36頁。ISBN 978-4107900241。
- ^ 1920年2月11日付大阪朝日新聞 北陸版(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 富山地方鉄道(編)『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年、364頁。
- ^ 1942年12月7日軌道譲渡許可「軌道譲渡」『官報』1942年12月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、175頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年、378頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、176頁。
- ^ a b 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、177頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 安野屋 市内電車 時刻予定表 (PDF) - 富山地方鉄道