安達宣郎
表示
安達 宣郎(あだち のぶお)は、日本の元バスケットボール選手。日本健康スポーツ連盟理事[1]。元日本トップリーグ連携機構常務理事[2]。
略歴・人物
[編集]1961年、静岡県立静岡高等学校卒業[3]。静高時代は粟野吉州とともに1年の時から全国大会を経験。1年生、2年生の時にインターハイ準優勝、3年生の1960年は国体準優勝[4]。1961年、東京教育大学に進学。大学時代に、粟野吉州とともに1964年東京オリンピックの日本代表候補選手となる[4]。
大学卒業後、八幡製鉄の主力選手として日本リーグで活躍した[4]。1966年、八幡製鉄退社後、地元シャンソン化粧品に入社し1976年まで監督を務める[4]。その後、三井生命の男女チームの監督、日本バスケットボール協会理事、1995年バスケットボール女子アジア選手権日本代表チーム団長、1996年アトランタオリンピック日本代表チームリーダーなどの要職を歴任[4]。1996年にバスケットボール日本リーグ機構に出向[4]。1998年にWJBL(バスケットボール女子日本リーグ機構)の創設に加わる[4]。同年、バンコクで開催された女子アジア大会の日本代表チーム団長を務め優勝[5]。
2014年3月31日、元会計担当職員が2011年度に約2,450万円を着服した問題の責任を取り、日本トップリーグ連携機構常務理事を辞任[6]。
日本健康スポーツ連盟理事。
経歴
[編集]- 選手歴
- 静岡高校 - 東京教育大 - 八幡製鉄
脚注
[編集]- ^ 日本健康スポーツ連盟 理事・監事名簿
- ^ 日本トップリーグ連携機構 日本女子ソフトボールリーグ機構・メディア懇談会開催報告 2010-4-13
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 166頁。
- ^ a b c d e f g がんばれ!静岡高校バスケットボール部 安達宣郎氏(77期)
- ^ 振興会ニュース第10号 16-19ページ 日本バスケット振興会 1999年4月
- ^ 着服問題のトップリーグ機構 常務理事辞任、専務ら処分