安田善四郎 (2代目)
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やすだ ぜんしろう 2代 安田 善四郎 | |
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生誕 |
安田善吉 1877年6月18日 |
死没 | 1937年10月8日(60歳没) |
住居 | 東京・千駄木 |
職業 | 実業家 |
配偶者 | 安田みね |
子供 | 安田楠雄(長男)、安田樫雄(四男) |
親 | 初代安田善四郎 |
2代 安田 善四郎(やすだ ぜんしろう、1877年(明治10年)6月18日 - 1937年(昭和12年)10月8日)は、日本の実業家。第三銀行頭取、富山銀行頭取、肥後銀行頭取等を歴任した。安田財閥を築いた安田善次郎の娘婿。
人物・来歴
[編集]初代安田善四郎の長男として生まれる。幼名は善吉[1]。1897年初代善四郎死去に伴い襲名し後任として共済生命保険社長に就任[2]。1898年第三銀行頭取[3]。1919年共済生命保険社長[4]。1923年第三銀行頭取[5]。1924年富山銀行頭取[6]。1898年肥後銀行頭取[7]。
第三十六銀行頭取、正隆銀行頭取、日本昼夜銀行頭取、栃木農商銀行頭取、安田銀行取締役、安田貯蓄銀行取締役、安田商事取締役、博多湾鉄道汽船取締役、共済生命保険取締役、安田信託監査役、安田保善学校理事、安田修徳会評議員等も歴任した[1]。
親族
[編集]父の善四郎は初代善次郎の養女ツル子の婿養子(旧名・堀川卯之吉)[8]。妻のみねは初代善次郎の三女。安田楠雄は長男。安田樫雄は四男[1][9]。
旧安田楠雄邸
[編集]東京・千駄木の旧安田楠雄邸は、もともとは藤田好三郎が建てたものだった[10]。しかし、関東大震災直後に藤田は中野町桃園に居を移したため、その旧宅を初代善四郎が購入した。善四郎は震災で日本橋小網町の自宅を失っており、居抜きの状態で入居したという[11]。
1937年(昭和12年)、2代善四郎の長男である楠雄が相続した。楠雄の他界後、1995年(平成7年)に邸宅は夫人によって日本ナショナルトラストに寄贈され、1998年(平成10年)、敷地全体が東京都の名勝に指定されている[11][12]。
脚注
[編集]- ^ a b c 安田善四郞 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ 「安田生命保険(相)『八十年史』(1961.12)」渋沢社史データベース
- ^ 「(株)富士銀行『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03)」渋沢社史データベース
- ^ 「保険銀行時報社『本邦生命保険業史』(1933.09)」渋沢社史データベース
- ^ 「(株)富士銀行『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03)」渋沢社史データベース
- ^ 「(株)北陸銀行『創業百年史』(1978.03)」渋沢社史データベース
- ^ (株)肥後銀行『肥後銀行七十年史』(1996.05)渋沢社史データベース
- ^ 安田善次郎年譜『安田善次郎伝』矢野竜渓 著 (安田保善社, 1925)
- ^ 安田善次郞 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ 辻泰岳、大井隆弘、飯田彩、和田隆介 2014, p. 66.
- ^ a b 辻泰岳、大井隆弘、飯田彩、和田隆介 2014, p. 67.
- ^ 旧安田楠雄邸庭園東京都生涯学習情報
参考文献
[編集]- 辻泰岳著、大井隆弘著、飯田彩著、和田隆介著『昭和住宅』エクスナレッジ、2014年8月。ISBN 978-4767818276。
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